#172 その2



 海の真ん中の学園を目指して、小さな船が疾走していく。
 赤い背中を通り越していまだ見えない学園を思いながら、ヨハンはふと思いついたことを十代に問いかけた。
「十代って、船操縦できたんだ。たしか免許いるんだよな?」
 船に乗り数十分、本来なら船に乗る前から出るだろう話題。行きもこの小さな船で来たことに間違いはないだろうし、あの無人となった街にはこれ以外に脱出の手段はなかった。
 ただ、今船をうごかしている彼が、難しそうな操縦を軽々とこなしていることに単純に驚いたのだ。

 ――あの十代が、船をねぇ……。

 免許の類はまだ持っていないヨハンだが、学園での数少ない授業の記憶から察するに、操縦以外の講習などではきっと机と頬はいつも触れ合っていたに違いない。……机がうらやましい限りだ。
 どこか微笑ましい光景を想像して状況に似合わず苦笑したヨハンに、十代の落ち着いた声音が届いた。

「免許? ……船って操縦するのに免許要るのか?」

 ああ、一緒に熱くデュエルを語っていたころの明るい声音も好きだったけど、今の声もいいなあと思って……って、十代は今何と言ったのだ? ヨハンの思考が一瞬停止する。
「十代、船の操縦って車みたいに免許がいるんじゃないのか?」
「そうなのか。知らなかった」
 さらりと会話が終わる。状況が状況なだけに今回は目をつぶろうとして、そうは済まされない事実に行き当たる。
「じゃあ十代はなんで船の操縦ができるんだ!?」
 車やバイクの無免許運転とは話のスケールが違う。いくらデュエルアカデミアの小型艇が最新式のものだとはいえ、自動操縦の至れり尽くせりなわけがない。それを操縦する十代を信じていないわけではないが、さすがに不安になる。行きつく前に、海の藻屑と消えるかもしれない。
「まあ、コレが初めてじゃないし……」
 十代から返って来た言葉は、どこか疲れを感じさせるものだった。自分がこの話題を続けるのがイヤなのだろうかとヨハンは胸の奥底にちくりとした痛みを覚えたが、そうではなかったらしい。
「船乗りの兄ちゃんたちに教わったんだよ。デュエルアカデミアに帰るためにさ」
「え?」
「1年のころ、変なおっさんに潜水艦に乗せられて『海のデュエル』とかいうヤツふっかけられて、危うく海の底に連れて行かされそうになったことがあったんだ」
 デュエルに勝ったら帰れるはずだったのに帰してもらえなかったんだぜ。たくさんの過去の出来事に埋もれた記憶を呼び起こしながら、十代は「あのときは本当参ったよ」と溜息をついた。
「よくわかんないけど紙切れ渡されてさ、コレでどうだ! とか言ってくんの。俺はもう帰りたくてしょうがないからそんな紙切れ破いて逃げ出したんだけど、俺とおっさんのデュエル見てた船乗りの兄ちゃんたちが、コレならばれないだろうってボロいボートくれて、操縦の仕方まで教えてくれたんだ。
 俺のデュエルはおもしろかったから、ちゃんと約束は守らないとダメだって言ってくれて、それで帰ってこられたんだ。
 ……今考えりゃ、どうでもいいことで翔とケンカしてたまんまだったし、あのまま帰れないのは絶対にイヤだったし、だから、帰ってきたら翔が泣きながら海に飛び込んできてくれて嬉しかったなぁ。あいつ泳げなかったのに」
 今度はまるで楽しかった思い出を話すように、十代の表情が柔らかくなる。自然と釣られて笑みをこぼしながら、ヨハンはどこか納得した。

 十代のデュエルはとてもまっすぐだから、きっと船乗りたちの心を動かしたんだろう。十代とデュエルしたヤツならきっと皆知ってる。勝っても負けてもとても楽しくて、元気になれるのだ。
 必ず帰ってくると待ち続けた翔の背中も、あれが初めてではなかったのだ。十代ならどんな無茶をしてでも帰ってくる。一度は十代を信じられなくなったと悲しそうな顔をしていた翔だったけれど、一番十代の帰還を信じていたのも翔だった。
 自分の知らなかったころの十代もやっぱり十代だったのだ、とヨハンは嬉しくなった。

「まあ、操縦できるならいいんだけど。で、十代?」
 嬉しくなったと同時に、一部ひっかかりを覚えてヨハンは立ち上がる。
「まだ何かあるのか? 無免許運転は今は目を瞑ってくれ」
 近づいてきて自分の横に立ったヨハンに、十代は「危ないぞ」と言いながらちらりと見上げた。
「それはいいんだけど君、その変なおっさんとやらに、何かされてないよな?」
「は? 何かって何だよ?」
 ヨハンの言っている意味はわからないが、なんだかものすごく真剣だ。十代は船がまっすぐ進んでいることを確認してヨハンに視線を合わせる。
「何か、ってそりゃいかがわしいことに決まってる!」
 ヨハンの言いたいことを瞬時に理解した十代の顔が真っ赤に染まる。怒りと照れの入り混じった複雑な染まり方だった。
「はぁ!? ヨハンじゃないしそれはない、絶対! だいたい、ヨハンに会うよりずっと前の話だぞ」
「俺と会う前だから心配なんだ! だいたい、君に渡してた紙ってなんだったんだ。何かの契約書とか婚姻届とか……」
「違う! なんか小さい切手って書いてあったけど、そのわりに切手より大きかったな。なんか数字が書いてあった」
「十代、それまさか小切手じゃないのか? 書いている額のお金がもらえるっていう……」
「それはないぞ。だって1の右側にゼロがいっぱい書いてあったし」
 いったいどれだけの金額を提示されていたのかヨハンは気になったが、それを天然で返したらしい十代があまりに十代らしくて思わず笑ってしまった。
「何だよ、怒ったり笑ったり変な奴だな」
「はは、いや……俺、やっぱり十代のこと好きなんだなぁって思っただけだから」
「……本当に変なやつ」
 もう会話を打ち切りたくなったと顔を前に戻した十代は、耳まで真っ赤になっていた。


今1期DVDレンタル中なんですが、海のデュエル回は噴きました。
三沢の「十代には一千万がどれくらいかわかってない」とかどんだけ!(1.31)
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