長い雨の季節が終わり、暑い季節がやってくる。
「……暑い」
隣を歩くヨハンの疲れた呟きを聞きとどめて、俺は「何言ってんだよ」と返した。
「これからもっと暑くなるってのに、今から暑い〜なんて言うなよ」
「マジかよ」
「こんなことでウソ言ったってしょうがないだろ。アカデミアほどじゃないとは思うけど……いや、たいした差はないか」
南海の孤島にあったあの島よりはマシ……と思ったのは錯覚と思うほど、ここ数日は暑い日が続いている。このままだと、来月はどこもかしこも真夏日だろう。
ただ、北国生まれ、アークティック校では寒中水泳まで嗜んでいたらしいヨハンからすれば、この暑さには耐えられないものがあるらしい。
「もう、アスファルトの照り返しが暑いんだよ。十代、どっか店に入ろうぜ」
「そうだな」
背中を伝う汗には、俺も辟易としていたところだ。……本当、8月になったら日本から脱出したほうがいいかもしれない。
卒業してから何度目かの夏。リーグ観戦で訪れた日本の暑さはデュエルの熱気も相まって相当のものだった。
「ふぅ、生き返った!」
「大げさだな」
「俺、身体中の水分が抜かれるかと思ったんだぜ」
路地にひっそりと佇んでいた喫茶店に入って、二人で冷たい飲み物を注文する。適度に冷房が効いた店内はよく見なくても和風のカフェだった。座っている古めかしい椅子にはい草でできた座布団が敷いてあり、テーブルには竹でできた一輪挿しにアジサイの花が生けてある。そんな雰囲気を、ヨハンは気に入ったようだ。
「けっこういい店に入ったんじゃないか?」
「だな」
よく見れば、奧には座敷まであるようだ。畳の匂いが懐かしい。
とにかく涼みたいと思って飲み物を注文したけど、かき氷とかも頼めば良かった。あとで注文しよう。
「カイザーと翔、元気そうで良かったよな」
今日のリーグ観戦の話題を切り出すと、ヨハンはお冷やをぐいっと一気飲みして、「そうだな」と同意した。
「スポンサーも参加者もどうにか集まったって言ってたし、新リーグとしてはまずまずってところだろうな」
コンセプトがなかなか理解されず、スポンサーも参加者も少なかった翔たちの新リーグはようやく軌道に乗り始めたところだ。賞金こそ少ない……プロリーグにしてはほぼゼロだ。スポンサーがつかないのだからしょうがない……が、相手をリスペクトする彼らのデュエルは内容も濃く、少しずつ話題にのぼりはじめ、今回はリーグとしての体制をようやく取ることの出来た初めての大会だったのだ。
「ヘルカイザーとエド・フェニックスのリベンジマッチは相当熱かったよな」
「だよな! 万丈目と翔のも面白かったし、他のデュエリストも変わったデッキの面白い奴多かったよな」
客演でも友情出演でもなく、正式な手続きでエドと万丈目がエントリーしたと聞いたときには驚いたけどやっぱりあいつらのデュエルは先が読めなくて面白いし、他の参加者たちも無名の新人が多かったけどこのデッキでプロリーグを渡り歩いているというこだわりが感じられた。
「プロリーグとしては異色だけど、こういうのが見応えあるってわかれば、もっと参加者も増えると思うけどな」
無料で配られたエントリー表には、メモ欄するための空欄があったから、俺たちは片っ端から参加者のデッキを書き連ねていた。
「こんなことなら、俺もエントリーすりゃ良かったかな」
あーデュエルしたかったぜ、とぼやくヨハン。それには心底同意したいところだったけど、
「しばらく身を隠すんじゃなかったのか?」
ヨハンが卒業後しばらくあちこち転々としていた理由を知っている俺としては、うかつな行動は控えてもらいたいところだ。
「ま、そうだけどさ」
世界に一つしかない宝玉獣デッキを手にプロデビューしないか、という話がたくさんのスポンサーからきていたヨハンは、それを全部一蹴して今も潜伏中だ。宝玉獣たちと、人間と精霊の架け橋になるのがヨハンの夢で、レアリティの高いデッキでプロになるという考えはまったくなかったというのがヨハンらしい。
「お待たせしました」
老主人が持ってきたアイスコーヒーにガムシロップを入れてストローで混ぜる。ミルクは入れなくてもいいけど、シロップは入れないと苦くて飲めない。
「ヨハンは何を頼んだんだ?」
ヨハンのグラスの飲み物は見た目普通の紅茶に見えるけど、甘い匂いがする。
「お茶だよ。ダージリンと緑茶のブレンドだってさ」
「ふぅん」
お茶のブレンドはよくわからないけど、ぶどうの匂いがしてちょっと美味そうだ。
「ところでさ、十代」
ちらり、とヨハンが俺の肩口を覗き込む。別に、ハネクリボーもユベルもいないはずだけど。
「なんだよ?」
「アレ、何だ?」
ヨハンの視線は、俺の背後のものに向いていたようだ。俺も振り返ってそこにあったものを確認して、「あ」と声をあげた。
「そっか、今日は七夕か!」
「たなばた?」
今日は7月7日。七夕だ。
一年に一度、天の川を渡って織姫と彦星が会えるという日。
「……で、その恋人が会える日に、なんで笹に飾り付けたり願い事かいたりするんだ?」
「そういう日なんだよ。難しく考えるなって」
説明を求められても、困る。
俺たちの会話を聞いていた主人が、短冊とペンを持って、俺たちの席にやってきた。
「あなた方もどうですか?」
「ありがとうございます!」
疑問に思いながらも、ヨハンはすぐに飛びついた。俺も短冊を受け取って、ついでにかき氷を注文する。
「宇治抹茶のかき氷と……ヨハンは?」
「えと、じゃあこの……しろくま?? しろくま食うのか!? これにする」
ヨハンの反応に主人は穏やかにほほえんで去っていった。
「こいつに書いて、願いが叶ったらいいよな」
ヨハンがさらさらと、何かを書いていく。どうやら母国語のようで、俺にはなんて書いてあるのかわからない。
「まぁ、一年に一度再会するためにがんばってるらしい人たちにあやかるんだから、それだけ努力しとかないといけないってことだよな」
俺も、願い事を書こうとして、何を書いたものかと思いめぐらす。
「小さい頃は、『ヒーローになりたい』って書いたな、そういえば」
「十代らしいじゃないか」
はは、と笑うヨハンにコーヒーを飲みながら笑い返して、もう一度短冊に向かう。
一度、似た願いを書いたことがあるけど、まぁいいや。
「しろくまって、しろくまどこにもいないじゃないか!」
喫茶店を後にしてすぐ、ヨハンがさっき受けた衝撃をいまだひきずっているのがありありとわかる発言をした。
「そういや、アレ何で「しろくま」なんだろうな」
「……そりゃ、白熊が乗ってたらやだけどさ」
日本ってわかんねえ。ヨハンはまだショックが抜け切れていなかったようだけど、ふと、意識を戻した。
「そういや、十代って短冊になんて書いたんだよ?」
「は? ……ヨハンが教えてくれたら教えてやるよ」
願い事なんて、そうそう簡単に教えてやれるもんか。
やんわりと躱そうとした俺の肩にヨハンの腕が回されてぐいと引っ張られる。
とたんに近くなった距離と、耳元に滑り込んでくる声に、ただでさえ涼しいところから暑い外に出た反動の暑さに熱さが加わっていくのがわかった。
「俺は、十代とずっと相棒でいられればいいって書いたぜ」
俺の熱が、更に上がった。
「俺がどうにかしなきゃ叶わない願いだけどさ。一年に一度なんてまどろっこしいことはしない。川なんか飛び越えて会いに行く。それくらいしなきゃ、願い事は叶わないだろ」
願い事を叶えるためのエネルギーをほんの少しだけでも分けて貰う。もしかしたら、短冊に願い事を書くのはそういう理由なのかもしれない。
だとしたら。
「それ、俺に言ったら意味ないんじゃないか?」
「十代にもがんばって貰うんだから、いいんだよ」
こういうことは、お互い努力しないと。
子供みたいに笑うヨハンに、俺は苦笑するしかなかった。
「じゃあ、お前もがんばれよ」
「おう? ……って、十代はなんて書いたんだよ」
「お前とだいたい同じだよ」
――ともだちと、ずっとともだちでいられますように。
その「ともだち」には、普通の遊び友達と、俺にしか見えなかったユベルをかけていたような気がする。
そして、いろいろあったけど、今になってそれは叶ってはいるのだ。
小さい頃の俺に足りなかったのは、川を飛び越える覚悟だ。今なら、川くらい泳いで渡ってやろうと思う。
「天の上の奴らも、会えるといいよな」
「そうだな。今夜は晴れるって言ってたし、きっと会えるよ」
暑苦しいはずなのに、どこか満たされて。
俺たちはのんびりと、日のかげり始めた夏の街へと向かったのだった。
去年書いてなかった七夕ヨハ十でした。
久しぶりの一人称で、壮絶に書きやすかったです。
で、しろくまはなぜしろくまなのでしょうか?