魔法使い

 冷えピタが額に貼られる。ひんやりとした感触が気持ちいいけど、すぐに温くなって気持ち悪いものに変わる。
「このままおとなしく寝てろよ」
 こんなことを言って、ヨハンはさっと立ち上がって部屋を出ていった。広々とした部屋から物音が消える。いや、俺の息づかいだけがやたらと響いている。そんなわけないのに。勝手に起き出して何かする気力だってありはしない。

 季節はずれに海ではしゃいだのはたしかにバカだった。それは認める。でも、あれしき……不覚にも波を頭から被ってしまった……で風邪引くなんて思わなかったんだ。
『どうした十代、顔色が悪いぞ』
『へ? そっかぁ?』
 次の日、顔を合わせたとたんこんなことを言い出したヨハンに医務室に無理矢理連れて行かれて、鮎川先生に口に体温計を無理矢理つっこまれて、クロノス先生に『さっさと帰って寝るノーネ。他の生徒にまでうつされちゃたまらないノーネ!』と教室を追い出され、レッド寮でただ寝るだけで治らないだろう、と明日香に頼まれたヨハンがブルー寮の自分の部屋のベッドに俺を押し込んだ。
 一人で寝るには広すぎるベッドはどこか寒々しくて、ただでさえ寒気がひどいというのにますます震えが走る。空調は入ってるだろうに、これじゃあんまり意味がないかもしれない。
 身を縮めこませると腹が気持ち悪くなって吐き気が襲ってくる。せきこんだら間違いなくやばいと思って耐える。せめて、トイレの場所聞いてから……。……でも、ヨハン、トイレの場所わかってんのかな。ほとんどブルー寮に帰らない理由に、部屋がわからない、というのがあったような。ここに来るまではジムに案内してもらったけど、ジムも戻った今、俺たちはヨハンの部屋を出たら確実に迷うだろう。今の体調でそれだけは避けたい。ハネクリボーやルビーも全然姿を見せないし、結局俺は冷えピタ貼られつつ眠りながら悪寒に耐えなければならなかった。
「げほっ」
 耐えきれずに咳をひとつすれば、案の定喉をせり上がってくる感覚。……やべ。人の……ヨハンのベッド汚したら悪すぎる。
 両手で口を押さえて、とにかくベッドから起き上がろうとしていると、ドアが開かれた。
「十代!?」
 トレイを持ったヨハンが慌ててベッドに駆け寄ってきて、サイドテーブルにトレイを置いて俺の背中に手を当ててきた。
 手の大きさは大して変わらないはずなのにさすってくる手がとても大きく感じられた。

 デュエルしてるときに見慣れた手のはずで、俺の手と大きさは変わらないはずなのに。頭が痛いせいか感覚も変になってるんだろうか。
「どうしたんだ?」
「……ん、なんでもない。サンキュ、少し楽になった」
 不思議なことに、背中をさすられているとどんどん気持ち悪い感覚が薄れていく。あれほど襲っていた吐き気すら止まって、荒く吐いていた息もすこしずつ落ち着いてきた。
「……ヨハンの手ってすげえな」
 思わず呟いた言葉に、ヨハンがぽかんとした顔をこちらにむけてきた。
「何がすごいんだ?」
 じっと自分の手を握ったり開いたりしているヨハンに、俺はどんな表現をすればいいのかと考えて、
「魔法使ったみたいだ」
 なんて、ファンタジーなことを言ってしまった。
「魔法、かぁ」
「自分でも変なこと言ったって思ってるよ」
 話しているうちに、具合の悪さもかすかに薄れてくる。それと同時に、サイドテーブルの上に乗っているものの匂いが鼻先をくすぐってきた。
「なんだ、それ?」
「ミルク粥作ったんだよ」
 白い液体にかすかに浮かんでいるものは、なんだろう? ……米?
「俺はあんまり美味しくなくて好きじゃないけど、とりあえず食えるだろうってくらいは味付けしたから食えよ」
 ずい、と押しつけられたトレイには、ほかほかの湯気をあげている粥があった。米にしては、やっぱりどろどろしているように見えるけど、粥ってくらいだし、具合の悪さが薄れているうちに何か腹の中に入れて薬を飲んだ方がいいし。
 何より、ヨハンが作ってくれたんだ。なんとなくキッチンに立つ後ろ姿を見たことないけど想像して、口元がゆがんでしまった。
「じゃ、いただきまーす」
 スプーンでミルク粥をすくって一口食べて。

「!!!!!!!!?」

 口に広がる猛烈な甘さに俺は危うく粥を吐き出しそうになった。
 たしかに甘そうだなと思っていたし、ホットミルクには砂糖入れるもんだけど、このミルク粥は……!
「どうした、十代?」
「いや……ミルク粥って、こんな甘いのか?」
 一応問いかけてみると、ヨハンは首を横に振った。
「普通はあまり美味しくないぜ。オートミールから作ると余計そう感じるから、蜂蜜とか砂糖とか足したんだ」
 どれくらい足した? とは聞かないでおこう。多分聞いたら具合悪くなる。多分味見もしてないな。
「……水、くれ」
「? おう」
 水を頼むと、ヨハンは首を傾げながらキッチンへと向かっていく。その後ろ姿を見送りながら、俺はさっき想像したキッチンに立つヨハンの後ろ姿をもういちど想像した。

 ……魔法使いでも、あやしい鍋かき回す魔法使い、かな……。

 甘すぎて優しすぎて喉が悲鳴をあげるのを感じながら、俺は甘ったるいどろどろに溶けたオートミールのミルク粥を喉に流し込んだのだった。

遅ればせながら、リクエスト「風邪っぴき十代」でした。リクエストありがとうございました!
砂を吐くほどの甘さにはなれてませんが粥は吐きそうなので許してください。
ついでに私はミルク粥はどちらかといえばパン派です。