気にならない

「うおー、あっちぃ」
「くぅ〜! こりゃたまんねえ!」
 声がわんわんと壁に反射して響く。濃密な湿気がまとわりついて、そこから逃れるようにざぶん、という音とともに水面に盛大な波紋が現れた。
 アカデミアの温泉施設は、寮生の憩いの場であり、特に部屋に風呂もシャワーもついていないレッド寮生にとっては唯一の入浴場所でもあった。学校の施設とは思えない……まるでスパのような広い浴場に、さまざまな種類の風呂、サウナもある。孤島という閉鎖された空間においての貴重な娯楽の一種でもあるため、いろいろと趣向がこらされている。――たまに、精霊の世界にも繋がっているらしい。

 そんな風呂は、現在が夕食の時間帯だからか、声の主たちの貸し切りの状態になっていた。
「本当に俺たちしかいないんだな」
 ひー、と落ち着かないヨハンが、中腰の状態で入りながらあちこちを見回す。
「トメさんの手伝いをしたから、今日の夕飯は三人前取り置きしてくれるって言ってたから、安心して風呂に入れるぜ」
 昼過ぎから草取りの手伝いを頼まれ、汗を流した二人に、「ゴハンとっといてあげるから、お風呂行っておいで」と楽しそうに草刈り鎌を振り回していたトメさんのすがたが、頭をよぎっていく。
 手伝ったのは二人だけだったのに、三人前取り置きしてくれるのも、駄賃代わりということなのだろう。
「たしかに、汗流せるのはいいけどさー」
 どことなく不満げなヨハンが、ちらり、と遠くの木製のドアを眺める。
「サウナが調整中で使用禁止、なのが痛い」
 故郷は風呂よりサウナだったらしいヨハンにとって、サウナに入れず、熱い湯に浸かるという現状は慣れないものであるようだ。
「まぁまぁ。日本らしく、肩まで浸かって羊トークン数える方式も体験した方がいいぜ」
 十代はしっかりと肩まで浸かって、「羊トークンが一匹、羊トークンが二匹」と数え始める。
 ……それ、ちょっと違うんじゃないか? one sheep, two sheep... って、眠くなるやつじゃないか!
「十代、それお前だけだと思うぞ」
「へ? 羊トークンが?」
 変な部分がいろいろと混じっている。ヨハンは一度風呂から出ようとして、十代に腕を掴まれた。
「ダメだぞヨハン、ちゃんと肩まで浸からなくちゃ」
「ええっ!?」
「あったまらないだろ」
 ほら、ちゃんとあったまれって!
 そうしてヨハンは無理矢理肩が浸かるまでがっちりと腕を掴まれたまま、
「羊トークンが一匹、羊トークンが二匹」
「だからそれは寝るときに数える奴だって!」
 十代に付き合わされたのだった。


 それから30分。
「……頭いてえ」
 ぐらぐらずきずきする頭をおさえながら、ヨハンは脱衣所に転がっていた。タオルを巻いてはいるが、誰か入ってきたら驚く体勢である。
 もう少し風呂に入るという十代を残して脱衣所にたどり着いた時点で、力尽きたらしい。
 目を開けるのも億劫になりながら、2つしか使われていない脱衣籠から服を取り出して着込む。手探りでシャツを探し出して袖を通す、と。
(なんか違う気がする)
 そう思いながらも気にすることなくジャケットを着込んで、一足先にレッド寮に戻ることにした。途中、ルビーが何か物言いたげにしていたが、ヨハンの体調を気にして何も言ってはこなかった。
 レッド寮の部屋……本来十代の部屋にたどりついて、冷えた麦茶を飲み干す。胃が驚いてぐるぐる鳴理想なのも構わずにコップ3杯を空にして、ため息をついた。
「やっぱ、風呂は温い風呂で半身浴だよな……」
 懐かしの入浴スタイルに思いをはせる。本来の居室……ブルー寮に行けば誰に気兼ねすることもなく半身浴できるはずなのだが、そこまで頭がっまわってないらしい。
 寝れば治るだろうか、とごろりと床に寝そべる。ベッドに上がる気力もわかなかった。

「はー、いい湯だったぜ!」
 そろそろ夕食も終わってこの温泉も人が来るだろうかと言う頃になってようやく十代は浴槽からあがってきた。
 これほど心地よい長湯ができる幸せをかみしめながら、風呂上がりの一杯……ビン入りコーヒー牛乳を一気飲みして、脱衣籠のところに戻ってきたのだが。
「あれ?」
 自分一人分しか使われていないはずの籠が二つ、使われたままになっていた。ヨハンがまだいるのだろうか、と見回すが、そういうわけでもないらしい。
 気を取り直して着替えようと服を取り出して、十代は少しの間固まったが、
「まぁいっか」
 とりあえず服を着だした。
『クリ〜』
「ヘンとか言うなよ」


 ヨハンが目を覚ましたのは、夕食などとっくに終わり、一応ある門限の時刻だった。頭痛はまだ治まらないが、身体が空腹を訴えてしかたなかったのだ。
 小さなテーブルには、今日の夕食が三人前乗っている。十代が自室まで持ち込んだらしい。
「ヨハン、起きたのか」
「んぁー。ってえ」
 まだ頭を押さえるヨハンに、さすがの十代も申し訳なく思ったようで
「ごめん、俺に付き合わせちまったから」
 と、冷たい水を差しだしてきた。それをありがたくいただいてから、ヨハンは「十代のせいじゃないって」と頭を押さえる代わりに髪をかきあげて、ふと、自分の袖の違和感に気づいた。
「ん?」
 何か物足りない、というより。いつもと違う。
 十代を見ると、呆れた表情で、自分の来ている服の袖を手持ち無沙汰に振り回していた。
「ヨハンってさ、腕長いのなー」
「へ?」
 本来ヨハンが着ているシャツを十代が着て、フリル部分をぶんぶん振り回すのを見ながら、ヨハンは自分の服装を確認した。

「……わり、十代の服着てたのか、俺」
「気づかなかったのかよ!?」
 ヨハンの服が十代に大きいなら、十代の服はヨハンには小さいはずだ。
「いや、なんか違和感あんまりないし。ちょっといつもと違うなとは思ったけど、気にならなかったんだよな」
 いつも一緒にいるからかな? 妙に納得するヨハンに、十代は複雑な表情を向ける。
「なんだよそれ。いつも一緒だと、服のサイズ違ってても気にしないのか」
「俺は気にならないし、十代は大きい服着るんだから問題ないだろ」
「俺の服が伸びるじゃないか」
「だったら、俺の小さくなったシャツお下がりにやるよ」
「……なんかそれ違うだろ……」
 話しているうちに頭痛も治まってきたらしい。そのとたん、腹の虫が限界を訴えた。
「とりあえずメシにする!」
「まぁいいや! 俺も食うぜ!」
「十代食べてなかったのか?」
「一人で食ってもおいしくないだろ」
 和気あいあいと遅すぎる夕食をとりはじめる二人を、顔を合わせながら見守る精霊たち。誰ともなく思った疑問は、誰も口に出すことができなかった。

『早く服を交換すればいいのに、なんでいつまでもお互いの服を着てるんだろう?』

リクエストその6「服をナチュラルに間違えるヨハ十」
シチュエーションは2択でしたがやっぱり温泉で普通に長湯してのぼせてもらいました。
その後お下がりフリルを着た十代を見た弟分たちが阿鼻叫喚の事態になると思います。
リクエストありがとうございました!