雨の多い土地だった。
恵みの雨、なんてよく言ったものだが、年間通して月の半分が雨だというここでは、雨は水害を引き起こす厄介者にもなりかねない。もちろん対策はなされているが、最近の異常気象で降水量がはんぱない、らしい。
そんな町の一角、古いアパートメントの一室が俺の仮のすみかだった。もとは雨宿りに軒先を借りていたのだが、ちょうどオーナーがいて、どうせなら住まないかと声をかけてきたのだ。ベランダの雨どいがまったく役立たずなこと以外は、おおむね住みやすい部屋である。
雨が降っていては買い出しも大変だ。たとえ歩いて20分ほどのところにマーケットがあっても、荷物が濡れる心配をしなければならない。ビニール袋は中にまで雨が浸透してしまっていて、中の缶詰がちょっと可哀想なことになっていた。
「ただいまぁ」
傘を差していたけどやはり濡れてしまった。鍵を開けて水を吸った靴の代わりに用意されていたスリッパを履く。靴にはあとで新聞紙を詰めておこう。
「おう十代、お帰り」
キッチンから声が聞こえてきた。数日前にここに転がり込んできた相棒だ。
『こりゃひどい雨だな』
と笑ってちゃっかり居座っているヨハンは、何をしているでもなくこの部屋に引きこもっている。本人が言うにはただの雨宿りらしいが、たしかにここ数日雨が降りっぱなしだ。上流のダムの水量を調節するという放送を何度となく聞いている。
「十代、新聞は?」
「あるわけないだろ」
この天気だってのに。
ヨハンが知りたいのは天気予報だ。雨が止んだらヨハンはまた出ていくのだろう。俺はもう少しこの町に用がある。どうも、この雨は精霊が関係したものらしいのだ。いくつか手がかりを見つけてはいるけど、それをどうしたものか。
そんなことを考えていると、鼻先を良い匂いがくすぐった。ぐつぐつぐつ、そんな音も聞こえてくる。
「あれ? ヨハン、何か作ってんのか?」
ひょい、と小さなキッチンをのぞき込むと、ルビーが小さな鍋の火の番をしていた。そこから立ち上ってくるのは、野菜を煮詰めたようなにおいだ。腹の虫をいろいろと刺激してくる。
「冷蔵庫の中開けたらいろいろ出てきたから、勝手に作ったぜ」
据え付けの冷蔵庫は、一人では食べきれなかった野菜や肉が入っていた。それが煮込まれているらしい。でも。
「あんまりかいだことない匂いかも」
「ああ、俺の故郷の料理だから」
へぇ、ヨハンの故郷の料理か。
どんなもんだろう、と鍋をのぞき込もうとすると、ルビーが「ん?」と顔を向けてきた。
「十代、濡れた服着替えてこいよ。買い出しの中身は片づけておくからさ」
「おう、サンキュー」
ヨハンの言葉にありがたくしたがう。着替えをして、濡れた靴下や服はまとめて洗濯機に放り込んだ。靴にも古新聞を詰めておく。洗濯機も据え付けだったが、もしもなかったら、雨の中コインランドリーに行かなければならなかっただろう。
部屋に戻ると、テーブルの上には買い置きのパンがトーストになって置かれていた。ニンニクのにおいがとても香ばしい。
「本格的だな」
『るびっ!』
ヨハンに用意したイスの上でルビーがひとつ鳴いた。どうやら、俺が先に食べないように番をしているようだ。
「できたぜ、早く座れよ」
「ああ」
出来上がったのは、シチューだった。見覚えのある野菜や肉が美味しそうな匂いをまとわせている。
「いただきます!」
「いただきます。パンをシチューにつけて食えよ」
ヨハンに言われるままに、パンをちぎってシチューをつけて一口食べると、
「うまい!」
ものすごく美味しい。トメさんのカレーにも匹敵するうまさだ。あのぼそっとした肉がこんなに柔らかくなるなんて。これならいくらでも食べられそうだ。
「ヨハンって料理うまかったんだな」
「へへっ、意外だろ? 言われなくたってわかってるぜ」
……何も言わないうちから自分で「意外」と言ったぞ。
ヨハンは満足そうにスプーンをシチューの中に浸した。
「ただ待ってるだけってのも悪いって思ってさ。どうせだったら何か作ってやろうって思ったんだよ」
「本当サンキューな、ヨハン。すっげえ嬉しい」
ただいまと言える相手がいて、誰かと一緒にご飯を食べる。
それは、シチューを食べるようにとても温かくなれることだ。ヨハンはいつも、ささやかだけど大事なことを教えてくれる。
「それにしても」
シチューの余韻に浸っていた俺に、ヨハンが心底残念そうな声をあげた。
「どうした?」
そんな態度をとられたら気になるのは当然だ。問いかけるとヨハンは「いや」と小さくかぶりを振った。
「エプロンが汚れなかったらなぁ」
聞こえてきたつぶやきは、俺には意味不明で思わず首を傾げてしまったのだった。
リクエストその7「ヨハンの手料理(しかも美味い)を食べる話」
とのことで、豪快に余りモノで郷土料理を作ってもらいました。
オプションつけられずすみませんです。
リクエストありがとうございました!