触れられない

 なんか、落ち着かない。

 となりをちらり、と見ても誰もいない。左を見ても、右を見ても、正面を見ても後ろを見ても、誰もいない。
『辛気くさい顔でこっち見ないでくれる?』
 上を見たら、ユベルがこちらをげんなりとした顔で見下ろしていた。
「別に、辛気くさい顔なんかしていないぞ」
『フン、そう言うけど鏡を見てごらんよ。がっかりするんじゃない?』
 人の顔見てがっかりとか、失礼な奴だな。
 憤然としながら否定するために鏡をのぞき込んで、
「……がっかりした」
 自分自身で思っていた以上に、辛気くさい顔をしていた。
『さっさとその顔どうにかしなよ。見てていらいらする』
「うるさいな」
 すぅっと消えていくユベルをいらいらしながら見送って、俺は辛気くさい顔のままため息をついた。
 この顔の原因はわかっている。

「ヨハンが全部悪い」

 口に出したら、ますますいらいらしてきた。


 別に、ヨハンと喧嘩したわけじゃない。お互い口を利かない訳じゃないし、一緒にデュエルしたりもしているけれど。
 ただ、距離を作られたような気がしているのだ。

『じゅーうだーい』
 と変な声出しながら後ろから抱きついてきたり、
『十代、あのさ』
 と肩を組んで来たり、
『なぁなぁ、キスしていいだろ?』
 といきなりキスしてきたり、とにかく隙あらばくっついてくるような奴が、ここ数日まったくと言っていいほど触れてこない。
 近寄ってこない、というわけではないけど、なんだか気持ち悪い。
『触れるうちに触っておかないと、もったいないじゃないか!』
 というわけのわからない持論で人に接触するのはどうだろうと思う。

 ……でも。
「急に態度変えられたら、ますます気持ち悪いだろ」
 気持ち悪いというより、なんだか不安なのだ。何か変なことに巻き込まれて、気づかれないようにしているのかもしれないし、そろそろ次の行き先が決まったのかもしれない。……行き先が決まったら別れるというのは今までもあったことだけど、時折やっかいごとに巻き込まれてそのまましばらく別行動になるということもあったから、油断はできない。
 心配くらいはさせてほしい。何もわからなくて不安になっているより、ずっといいのに。

「十代?」
 部屋のドアがガチャ、と開いて、ヨハンの頭が現れる。頭にルビーがよじ登っているのが見えて、ずいぶん重そうだなと思った。
「なんだよ」
 気持ち悪い。だから自然と険の入った声になってしまった。
「いや、ご飯できたけど、食べるだろ」
「え」
 今週の食事当番は俺のはずなのに。
「なんで」
 思わず口にでた疑問に、ヨハンは「へ?」と意外そうに首をかしげた。
「十代、元気がなさそうだったから勝手に作ったんだけど……ダメだったか?」

 いつもの俺だったら「マジで? ラッキー!」とか「悪いな」とか言ったかもしれない。でも、今はそんな言葉を言う気力もなかった。優しさの裏ばかりを見てしまう。ヨハンに対しては、こんなことを考えたくないってのに。

「なんで」
「へ?」
 また、同じ言葉が口から出てきた。ヨハンも同じように首をかしげている。
 俺がなんか変だったりしたら、絶対に「熱でもあるのか?」とおでこを触ってきたりするはずのヨハンが、なんでそんなこともしてこないんだろう。

「おまえ、そんなに俺に触るのがいやなのか!?」

 ヨハンの両肩を手でつかんで、うなだれる。
 手を取ろうとしてできなかったのは、振り払われるのがこわかったからだ。
 触れなくなった原因が俺に触りたくなくなったからだとしたら……そう思うだけで気持ち悪くなったというのに。
「おい、十代?」
 困惑した声にも俺は顔を上げることができない。
「なんかやっかいごとに巻き込まれてて、俺に気づかれたくないってんならおとなしく白状してくれ。……何も知らされないまま不安になるより、教えられて心配するほうがましだ」
 そして、あんまり考えたくないことだけど、口に出したらきっと落ち込むけど。
「もし、一緒にいるのがイヤだったら俺、出て行くし」
 ……今回は俺がヨハンのすみかに転がり込んだ状態だ。出ていくなら俺の方だろう。
 うなだれたまま言いたいことを一気に言った俺に、ヨハンは動かないままだった。どれだけの時間、そうしていたかもわからない。何分も経っていたかもしれないし、ほんの数秒だったのかもしれない。

「十代」

 ぽん、と。
 頭の上に、何かが置かれた。

「何一人でぐるぐる悩んでるんだよ」
 置かれた何かが、ぐりぐりと頭を移動する。わしわしと頭をなでてくるこれは、ヨハンの手だ。
 サイズはさして変わらないはずなのにどこか大きく感じるヨハンの手が俺の頭を乱暴になでてきて、正直痛い。
「悩んで……って」
「ここんとこずーっと悩んでるみたいだったろ」
 ほら、顔上げろよ。
 言われるままに顔をあげた俺に、ヨハンは「なんだよ」と声を和らげた。
「そんな泣きそうな顔すんなって。こっちこそ、おまえがなんか変なことに巻き込まれてるんじゃないかと、心配したんだぞ」
 なんだよ、それ。

「だったら、なんで急にさわってこなくなったんだよ!」

 思わず声が大きくなってしまった。
 ヨハンは「へ?」と一瞬呆然としたけど、それからすぐに「あー」と視線を泳がせた。
「えーと、それは」
「毎日毎日、どこかしらセクハラっぽく触ってきてたくせに急に触ってこなくなったから……!」
 だから俺、ものすごく不安になったんだぞ!
「せくはらってなんだよ……」
「無駄に尻を触ってくるのはセクハラじゃないといえるのか」
 う、とヨハンの声が詰まる。

「それは、十代も悪いんだぞ」
 そして俺に責任転嫁してきた。
「なんで俺が」
 少なくとも、俺にはぜんぜん何が悪いのかわからないんだけど。
「だってさ十代、俺が触るとイヤそうな顔するじゃないか」
「そりゃ、無駄に触ってくるからだろ。尻とか」
「わかった、そっちはやめる」
 ヨハンの肩をつかんでいた俺の手がはずされる。そして俺の手を取ったまま、ヨハンは話を続けた。
「不安なのは俺も一緒なんだぜ。十代はすぐどこへでも行っちゃいそうだし、俺より面倒ごとに巻き込まれてることもあるし、触れられる場所にいるうちに、存在を確かめたくなるんだよ」
 それに、とヨハンが困ったように笑う。
「俺は十代が好きだから、こうやって手を取ったり抱きしめたりキスしたりしたいって思ってるけど、十代は俺にこうされるの、あんまり好きじゃないだろう? ……ふるえてること、あるからさ」

 ヨハンの行動は本当に突然すぎて、俺の心の準備ができていない状態で抱きつかれたりキスされたりなのだ。……突然のことにびっくりするのは、当然だと思うけど。

「それは、おまえがいつもいきなりだからで……!」
「じゃあ、慣れればいいんだろ」
 ぐいっと腕をとられて抱きしめられる。だからいきなりはやめろって……!
「不安にさせたのは悪かった。だから、お互いもうちょっと慣れようぜ!」
「慣れるって、何に……?」
 ああ、顔が近い。こりゃ、キスされるな。
「もちろん、こうやって一緒にいることに、さ」

 予想通りのキスは、やっぱり緊張して震えた。
「なんだよ、緊張すんなって」
「しないわけないだろ!」
「……そういうところも好きだけどさ、やっぱ慣れるまでがんばるか!」
 再び顔が近づいてくる。……俺がキスに震えなくなるまで、続けるつもりなんだろうか。
「よは、……まさかほんとうに……つづける気かよ」
 いきなりされるからびびるんであって、何度もされて慣れるもんじゃないぞ。
「ああ。触っちゃダメかと思って我慢してたんだ。触っていいって言われたからもう我慢はやめた!」
 にかっと笑いながら言われてしまえば、俺も何も言えない。
 おとなしく目を閉じて、再び降りてくる唇を待つことにした。


 こうして俺は、ヨハンにくっつくための理由を与えてしまったのだった。
「十代、ちゅーしようぜ!」
「いきなりはまじやめてくれ!」
 今日も、突然くっついてくるヨハンにびびらされながら、俺は唇にキスされる。
 ……不安になるよりはましだけど、やっぱりはずかしい。

リクエストその9「不安十代」
結局お互いが不安で、ヨハンが押してもダメだから引いてみた感じになりました。
ついでにヨハンじゃなくても十代の尻はちょっと触ってみたいですと
思った自分も強制終了されればいいと思いました。
リクエストありがとうございました!