寄り添う

 昼にのんびり一眠りして目が覚めると、猫になっていた。


『な、な……っ!!?』
 視界に入ってくる自分の腕が赤茶色い毛並みに覆われている。何かを握ろうにも難しいかたち。そして夢かと思って手に噛みついてみると、
『いってえ!』
 思いっきり痛かった。あとやわらかい感触があった。肉球だ。
『おいユベル、おまえまた何かしたのか!?』
 いつも側から離れない(離れようがない)精霊に問いかける。しかし、悪態混じりの冷静な声はどこからも返ってこなかった。いつもなら俺の異変をすぐに察してくれる相棒も来ない。
『ハネクリボー! ユベルー!!』
 必死に名前を呼んでみるけど、いつもより低くなった視界の中にむなしく響くだけだった。
『おっとっと……』
 しかも、まるで動く木のようにたくさんの棒が俺のことを追い立ててくる。それにぶつからないようにぶつからないようにと歩いているうちに、いつのまにか噴水の前に来ていた。しゃーと水が流れる音が頭上から聞こえてくる。縁にジャンプして登る。幾分高くなった視界が、今まで俺が避けてきた棒が人間の脚だと教えてくれた。……おそるおそる噴水の水面を覗いてみると、赤茶色い猫が映っていた。長いしっぽがゆらゆらと揺れてなんともかわいい。しかし、本来の俺の姿はどこにも映っていなかった。
『まじかよ……』
 いったいなんで、どうして?
 たしかに普通の人間とはちょっと違っている俺だけど、こういう方向に違っているつもりも覚えもない。何よりこのように猫に変身するようなことになった覚えがない。ふつうに昼飯食って、普通に昼寝していただけだ。この国だと食べてすぐ寝ると牛じゃなくて猫になるというのだろうか。
 さっき噛んだはずの手? 前足? で頬を触ってみようと思ったら、ぐらりとバランスを崩した。
『げっ』
 このままだと噴水に落ちる。そうしたら、犬かきのように泳げるだろうか、いや猫だからどうだろう。必死に踏ん張った腕の力がついにかくんと抜けたとたん、首根っこが誰かに掴まれた。

「あっぶねえな」

 ひょい、と首根っこ掴まれたまま俺の身体は宙に浮く。なんともバランスが悪いし、なによりぶらさがっているという状況が嫌だ。離せ離せと暴れてみると、すぐに顔が布地にこすりつけられた。抱き上げられたらしい。まるで猫のように……って、猫だけど。
『ん?』
 よく見ると布地には覚えがあった。紫のシャツ、それから青いジャケット。
「よーしよしよし……。うわ、ゴロゴロ言ってるなぁ」
 伸びてきた白い手が顎をくすぐってきて気持ちよくてつい喉を鳴らしてしまった。その手の先にある服の袖の形も、見覚えがある。
『ヨハン!!』
 友達で同居人。俺と同じ目的で旅をしている仲間だ。必死に名前を何度も呼んでみるけど、通じるわけもなく、
「おまえ、人なつっこいなぁ。首輪無いけど飼い猫か?」
 ぐりぐりと頭を撫でられる。今度は痛かった。

 じゃあな、と俺を下ろそうとするヨハンに必死に上着に爪を立ててしがみついた俺は、ヨハンに抱きかかえられたまま部屋の玄関をくぐった。街の片隅のフラットはペットもOKの物件で、猫を連れて旅している俺に合わせてくれたものだ。
「うちにはファラオがいるけど、大丈夫かなぁ?」
 ここに来るまでに、ヨハンがぼやいて携帯を弄っていた。たぶん、俺の携帯に電話をかけているのだろう。……そういえば、俺の荷物はどうなったんだろう? 財布と携帯とデッキは常に持ち歩いている。財布や携帯はともかく、デッキがなくなったらやばい。
「ただいまー、って十代はいないか」
 俺の不在を気にも留めずに……調べ物があると一晩帰らないなんてこともある……ヨハンは俺をキッチンの床に降ろした。
「腹減ってるだろ? 今なんか用意するから。……えっと、ファラオのキャットフードは……」
 キャットフード!? 一度遭難しかけたときファラオのを一缶拝借したけど、味ぜんぜんしなかったぞ。必死にキャットフードは嫌だと主張するべく椅子に上がって、テーブルに上がる。行儀悪くてもいい。キャットフード出されるよりは!
 テーブルの上には、日本食材の店で売っていたくさやが置いてあった。懐かしくてつい買ったものだ。やっぱり臭いが気になるのでがっちりラップで包んであったそれを行儀悪く爪でラップを剥がす。うん、うまい!
「こら! ……っておまえ、くさや好きなのか!?」
 びっくりして叱ることも忘れたヨハンを尻目に、意外と腹を空かせていたらしい俺はがつがつとくさやを食べた。三分の一くらい食べたところでヨハンに引きはがされる。
「あとは夕飯で食わせてやるから、今はミルクにしとけよ」
 床に抱き降ろされて、ミルクの入った皿を差し出される。うん、これもうまい。
「よしよし、ちょっと俺はもう一回出かけてくるからな。……キャットフードとかカリカリは食うか?」
 キャットフードもカリカリも嫌だ! ぶるぶると首を振る俺に、ヨハンはびっくりしたように「すっげえ」と声をあげた。
「おまえ、俺が言ってることわかんのか!」
『おう、ヨハンの言うことならわかるぜ!』
 たぶんこの返事も、ヨハンにはにゃーにゃーとしか聞こえていないんだろう。

 ヨハンが出て行ったあと、俺は閉じられたドアに向かって呼びかける。
『ファラオー、大徳寺せんせー、いるかぁ?』
 だが、返事はない。ドアの向こうにファラオがいる気配はあるけど、俺は猫に通じる言葉さえ話していないらしい。
『まいったな……』
 いくらなんでも、俺と連絡がとれなくなったらヨハンだって心配するだろう。……だいたい、どうして俺は猫になんてなってるんだろう。
 たしか昼飯は、スーパーに入ってるベーカリーで買ったサンドイッチを食べた。どこかで外食するほどの持ち合わせもないし、サンドイッチ買って食ったほうがうまいし。そのあと、なぜか眠くなってちょうど噴水がある広場のベンチでうとうとと……しちゃいけないんだけど、しちゃったんだよなぁ。
 ていうことは、さっき落ちそうになった噴水があの噴水だったのか。場所の移動はなかったんだな。
 そうか、ハネクリボーの声が聞こえてこなかったのは、デッキがなかったからか。どっちにしても、ユベルの声が聞こえないってのはわかんねぇな。
「ただいま」
 そんなことを考えていると、ヨハンが帰ってきた。そういえば、ヨハンの宝玉獣たちも姿が見えない。今の俺は、精霊が見えなくなってしまっているらしいし、精霊たちも俺が『遊城十代』だと気づいていないのかもしれない。
『ヨハンお帰り!』
 駆け寄ると、ヨハンは元気なく俺を抱き上げて椅子に座った。
「この部屋に住んでる俺の友達のさ、荷物があったんだよ」
 見覚えあるベーカリーの袋の横には、俺が持っていたはずの荷物。良かった、デッキは無事だったんだ!
「近くの広場のベンチにあったのを、店の人が見つけてくれたんだってさ。荷物置いたら盗まれるってわかってただろうに……。なにやってんだろうな。ていうか、どこ行ったんだろうな」
『俺はここだぞ!』
 この言葉が、通じればいいのに!
 ヨハンの元気が俺のせいでなくなってしまうのはいやだ!
「ユベルのやつは明日にでも戻ってくるって言ってたけどさ」
 ユベル!? ヨハンはユベルの声を聞いたのか?
「これで明日戻ってこなかったら、どうしようって」
 ものすごく悲しそうなヨハンの指先を、慰めるように舐めてみる。はっとしたヨハンは、すぐに笑顔を取り戻した。
「おまえ、俺をなぐさめてくれてるのか? ありがとうな」
 ぎゅっと抱きしめられて、「じゃあ、今から夕飯作ってやるからな!」
 と俺を膝から降ろしてあわただしく夕食の準備をはじめた。

 ぬるめのミルクにちぎったパンを浸したものが俺の夕食だった。俺は肉でもくさやでもよかったんだけど、心配と面倒をかけてるんだからそこまで言っていられない。
「今身体を拭くからな」
 と蒸しタオルで身体をぐりぐりと拭かれ、ふわふわのタオルで二度拭きされると、「おお、綺麗になった!」らしい。
 そのまま、さっさと寝てしまうことにしたらしいヨハンに、ベッドまで連れて行かれた。
「明日十代が帰ってきたら、聞いてみるからな」
 どうやら、俺を飼おうとしてくれているらしい。あちこち旅するのに、ペットは連れて行けないのに。それでも、ヨハンはきっと連れて行こうとするのだろう。そんな気がする。
「おまえってさ、初めて会ったときに『こいつは家族になる!』って思ったんだ。……実を言うと、一緒に住んでる友達と初めて会ったときも、そう思ったんだ。だからきっと、十代もOKくれると思うんだよな」

 ……なんだか、ものすごく照れくさいぞ!

 ヨハンに寄り添って丸まっていると、もしも戻れなかったら、とかものすごく心配だったのがウソのように落ち着いてくる。ユベルの言ってることが気になったけど、とりあえず俺はそのまま眠りに身体を任せたのだった。



 朝目が覚めると、俺は人間になっていた。

「……戻った……?」
 朝日の差し込む部屋、カーテン越しの光でも、俺の指が5本あると教えてくれている。ぐっぱっと結んで開いてみる。手を打つところまではヨハンを起こしそうだからやらないでおいた。
『おはよう十代』
「おはよう……って、ユベル!?」
 ベッドの前に堂々と立っているユベルに、俺は起き上がって、文句を言おうとしてこらえた。ていうか起き上がれなかった。
『まったく、何で君は猫に取り憑かれたんだろうね?』
「とりつかれ……ねこ??」
 呆れたユベルの言葉。わけわからないぞ。
『君が昼寝をしているうちに、猫の霊が君に取り憑いたんだよ。あの猫がいれば防げたかもしれないのにねぇ』
 あの猫……ファラオのことか? たしかに昨日はやたらとついてきたがってたのを置いてきた。
『まぁ、誰かの愛情が欲しくて君に取り憑いたみたいだから、満足して解放してくれたようでよかったね』
「何がよかったかわかんねえけど、元に戻れて良かったよ」
『そうかい。じゃ、がんばるんだね』
 は? 何をがんばれって?
 とりあえずもう一度起き上がろうとして、腹になんかひっついてる感触が……って、
「ヨハン!」
「……んあ?」
 いつのまにか俺の腹にがっちり抱きついていたヨハンが、ぼんやりとこちらを見てきて、一気に目が覚めたようだ。
「十代!!」
 驚いたヨハンは、それでも俺をホールドしたまま離そうとしない。
「なんだよ、なに人の寝込みを襲ってるんだ!」
「襲ってねぇし! っていうか離せよ!」
「やだっ。いきなり行方不明になったヤツを離したりするもんか!」
 離せ離さないの言い合いをする俺とヨハン。そんな俺の耳に、ファラオではない猫の満足げな鳴き声が聞こえてきたのだった。

猫の日なのでギリギリに十代を猫にしたネタ。ツイッターで呟いてたものをあれこれいじりました。