ありふれた日々
「へへーん、俺のターンだなっ!」
広げられたカードと手札を見比べて、俺はヨハンの次の手を待つ。
今のところ、勝率は6対4ってところだから、本当に油断ならない。
何しろ、ここまできてヨハンがあのカードを引き当てていないというのがとてつもなく引っかかる。今の俺のライフは500、ヨハンは800。お互い着実にライフを削ってきた結果、このターンを切り抜けるか否かが勝負を決めることになった。
場にいるモンスターは3体。全員守備表示にしてある。対するヨハンも宝玉獣が3体。エメラルド・タートルが宝玉になってものんびり観戦している姿が目に浮かぶようだ。
「ドロー!」
ヨハンの掛声とともに、デッキからカードが1枚抜かれる。そして。
「きたきたぁ! 待ってたぜ!」
思いっきり笑顔になったヨハンは、引いたカードをぱしっと場に置いた。
「げっ!」
カードを見た瞬間に俺は自分の敗北が確定したことを知った。……俺の場にある伏せカードではヨハンが出したカードの効果を打ち消すものは……ない。
今の俺たちはデュエルディスクを装着しないでデュエルをしている。でも、カードが出てきたと同時に現れた姿。なんとも主……いや、家族だ……に似て勝ち誇った顔をしていた。
『十代、覚悟してね』
「ううー、お手柔らかに頼むぜ、アメジスト・キャット」
アメジスト・キャットの爪がキラリ、と光る。
「アメジスト・キャットでダイレクトアタック!」
ヨハンの最後の声は、勝利に満ちたものだった。
「こんのーっ!」
「あっはっは、俺ってばいいタイミングで引いたなぁ!」
さっきから笑いっぱなしのヨハンは晴れやかな顔でカードを片付けながら、
「じゃ、今日の夕飯は頼むな!」
「わかったよ、作ればいいんだろ。味は保障しないからな」
負けたほうが今日の夕飯をつくる、という条件で始めたデュエル。時間はかかるけど、デュエルで決めたほうがお互いうらみっこなしなのは出会ったころから変わらない。
「十代が作るんならなんだってうまいって!」
調子の良いことを言うヨハンに、俺はちょっとだけいじわるをしてやりたくなった。これくらいなら許してくれるだろう。
「この間つくったスープはすごい微妙な顔して食べてたくせに」
「うっ。ま、まぁとにかく出かけてくるぜ!」
ヨハンはあのときと同じ微妙な顔をしてコートを着込んで出かけていった。
それにしても、本当は今夜はヨハンが食事担当だったのになぁ。俺もヨハンも味にはこだわらないから、よほど微妙な味のもの以外はなんでもいける。そういえば、この間ヨハンが作ったパスタはまだ麺が固くて微妙だったんだよな。アルデンテは俺でも知ってるぞ……知ったのは最近だけど。
「くっそー、あそこでアメジスト・キャットがくるなんて本当にカードの引きがいいんだよな」
俺だって引きの強さは負けてないのに。いやしかし、その前のターンに攻撃の無力化を使わなかったらその時点で負けだったし、ぐう、悔しいぜ!
『クリクリ〜』
「ん、わかってるって相棒。そういうルールだもんな。ちゃんと作るよ」
ハネクリボーが心配そうに俺を見下ろしている。ちゃんとご飯をつくるのかと確認までしてきた。
そもそも、そんな条件のデュエルをのんだのは俺だし、しょうがないか。
仕方なく俺もコートを着て、財布を持ってアパートを出た。
今日の夕食は何にしよう、なんて考えながら。
*
アカデミアを卒業してあちこちを渡り歩いている俺がヨハンと再会したのは2週間ほど前のことだ。
文字通りあちこち飛び回っているヨハンは、俺がどこにいても必ず見つけ出してくる。俺のことはなんでもわかる、というのがヨハン本人の言い分だが実際はルビーが俺を探しているんだろう。ヨハンに任せていたら、多分俺たちはずっと再会できないままだったに違いない。
挨拶代わりのデュエルはいつものことで、自然と分担される食事当番や掃除当番もデュエルで決めることが多い。さっきの俺は今夜の食事当番をかけたデュエルで負けたから、ヨハンのかわりに夕飯をつくらなければならない。ついでに、俺が勝っていたらヨハンが2日連続で食事当番になるはずだったのに。
こんな、俺たちにとってのありふれた日々は、俺が次の街を探しに行くか、ヨハンがまた鉄砲玉でどこかに飛び出すか、そのどちらかが起こるまで続く。3日で終わることもあれば数ヶ月続くこともある。……今回はどうなるのか、俺にもヨハンにもわからないのだ。
今俺たちが仮のすみかにしているのは北欧の小さな街だった。片言の英語でもなんとか生活ができるのはありがたい。ついでに、ヨハンが一緒にいるときに英語の勉強をしていたりするが、俺の場合は英語の前に日本語だろう、とぶつぶつ言われてしまった。失礼なヤツだ。
俺は手紙を届けるバイトをしつつ、近所の子供たちにせがまれてデュエルを教えている。デュエルのときは言葉は必要なく、手振りだけでもどうにかなるもんだ。説明文が英語なのはちょっとだけ参ったが。
ヨハンも似たようなことをしているらしいけど、詳しいことはわからない。たまにアマチュアの大会に偽名で出ていたりするけど(俺とヨハンで同じ名前を使っているから二人同時には出ることはない)、今回はそういったこともなさそうだ。
「お、うまそー!」
「その前に言うことがあるだろ、ヨハン」
「ああ、ただいま十代」
「おかえり」
俺が夕飯を作っている間に、ヨハンが帰ってきて部屋は一気に賑やかになる。俺のヒーローたちもヨハンの宝玉獣たちも狭いアパートの中だけど妙にくつろいでいて、それがなんだかおかしい。狭いといっても、日本のアパートよりずっと広いのに家賃が安いのは魅力的だ。
本当は米が食いたいところだけど、さすがに高いし炊くのも大変なので、たいてい主食はパンになる。市場の野菜売りのおばちゃんから貰った瓜に似た野菜を卵といためたものを皿にどっかりと載せていると、ヨハンが「俺が持っていくよ」とひょいと大皿を持っていった。……食べることになると早いヤツ。
それに、やっぱり市場の惣菜売りのおばちゃんから貰った惣菜をつけて、今日の夕飯の完成だ。もらいものばっかりとか言うな。
「「いっただきまーす!」」
テレビのない部屋では、俺たちが食事をする音と他愛のない会話をする声だけが響く。……といっても、精霊たちもいるからちっとも寂しげではない。
「お、これはうまい」
「その野菜貰ったんだけどさ、どう料理していいかわかんなかったからとりあえず炒めた」
俺も箸を伸ばしたが、たしかにうまい。面倒だから味見をほとんどしないけど、これはうまくいったようだ。今度おばちゃんにお礼を言わなければ。
俺たちが他愛のない会話を交わしながら食事をしている間、隣のリビングでは精霊たちのおしゃべりの声が聞こえてくる。とても賑やかだけど、どれも楽しそうだ。また、ハネクリボーとルビーがケンカしてるな。
なんだかそれは、妙にあたたかくてくすぐったかった。
何でだろう。この心地よさが続くわけないものだとわかっているのに、続いて欲しいと願ってしまうのは。
離れていても、どこにいても、俺たちは親友だと笑って、別れては何度となく再会して、また別れる。
その繰り返しは今までだってあったのに、どうしてこんなに欲張りなことを考えてしまうんだろう。
「どうした、十代?」
「え?」
ヨハンに声をかけられて、顔をあげる。俺の顔に何かついてるんだろうか?
「なんだか元気がなさそうだぞ?」
「そうか?」
別に、元気がないわけじゃないんだけどな。
俺が首をかしげていると、ヨハンは「なんともないならいいんだけどさ」と笑って食事に戻っていく。
俺もそれに倣って再び箸を伸ばして、またどうでもいい話題で話を弾ませた。
*
「十代、デュエルしようぜ!」
夕飯の片付けが終わってひと息ついていると、ヨハンがカードを持って来た。
俺も「おう!」と了承して自分のカードを取りだした。荷物を持たずあちこちを旅する俺にとっては、カードとデュエルディスクは何より大切なものだ。家具も据え置きで用意されているこの部屋にある俺の荷物といえば、ほかには服が数着と財布、無理矢理持たされている携帯電話だけだから、次の街に行こうと思えばいつだって行ける。この街は居心地がいいから、ヨハンがいなくなってもすぐには出て行かないだろうと思った。
……ヨハンがいなくなっても、なんて何を考えてるんだか。
自分で自分の考えに苦笑する。夕食のときからどうにも感傷的になっているらしい。こういうときは、デュエルで発散するに限るよな。
「じゃあ、先攻は俺だな。ドロー!」
デッキからカードを一枚引く。お、これはいいコンボになりそうだ。俺はにやりとしたい気持ちをおさえてつとめて冷静にモンスターを召喚してカードを伏せる。
「何だ、いいカードが来たのか?」
俺の表情を見たヨハンが楽しそうに問いかけてくる。……ばれてたか。
「まあな。ところで、このデュエルに勝ったら俺にはどんな特典がつくんだ? 明日の朝飯当番か? それともゴミ出し免除か? じゃ、俺はこれでターンエンドだ」
たいていデュエルで決めるのはそういった面倒事の担当だったから、俺も自然と気合が入った。朝ごはんは、作るより食べるほうがいい。そして出来るまで寝ていたい。
「そうだなぁ……。そのふたつの組み合わせもいいけど。あ、俺のターンだな」
ヨハンもカードをドローして、やっぱり読み取れない冷静な表情で場にカードを伏せた。どうやら今回はアメジスト・キャットはまだきていないらしい。できれば、出てくる前に終わらせたいところだ。でも、多分いいカードがきたんだろうなぁ。あの顔は間違いなく何かをたくらんでいる顔だ。
そして、そんな俺の読みは当たっていた。
「次の街はどこに行くか、にするか。俺が勝ったら俺の行きたいところ、十代が勝ったら十代が行きたいところ、ってのはどうだ?」
ターン終了! の声が、どこか遠くに聞こえた。
今、ヨハンは何て言ったんだ?
「…………は?」
俺は自分のターンの宣言も忘れてヨハンの言葉を反芻していた。
「だから、行き先を賭けようってことさ。十代が勝って次の街に行きたいなら俺も行くし、俺が勝ったらここに留まりたいから十代にも居てもらう。いいだろ?」
俺の頭の中で繰り返されているヨハンの言葉が、現実とリンクする。
「何で? 何で、俺がヨハンと一緒に行かなきゃいけないんだよ」
口に出して随分とひどいことを言ったと思ったけど、撤回することはできなかった。
今まで、何度もヨハンと再会して、一緒に暮らして、そして別れる。その繰り返しのなかで、俺もヨハンも決して『一緒に行こう』とは言い出さなかった。時の流れに取り残されているような状況で、少なくとも俺にとってはヨハンの存在はとても心強かったけれど、だからこそ、一緒に行こうとは言わなかったのに。互いに口には出さないけれど、これ以上距離を詰めないことは、再会して僅かな期間のありふれた日々を楽しく過ごすためだとずっと思っていたのに。
俺の心の中を読んだように、ヨハンは口を開く。その表情はとても穏やかだった。
「だってさ、どこに行っても十代は元気かなぁとか、十代ならどうするだろうなぁとか考えるんだよ。そうすると、次は十代がいる街に行きたいって思うんだ。だったら、最初から一緒にいたほうがいいじゃないか」
自分勝手だな、と言いたいけれど言えなかった。
――悔しいけれど、俺にもそんな覚えがある。誰かとデュエルをするときもヨハンならこうしてたかなとか、今はどこの世界にいるんだろうとか、日々の生活のほんのささいなことで思い出すのは、目の前の腐れ縁の親友のことだった。
でも、ずるいよな。俺にはヨハンを探しにいけないのに、ヨハンには俺を探せるんだ。探しに行って、迎え入れられないことをほんの少しだけ怖がって、ためらいつづけてきた俺には、ヨハンの言い分を自分勝手だなんて言えない。だけど、これ以上一緒にいたら。
「それに、こうやって一緒に暮らしてるのってものすごく楽しいのも、どこにいても十代のこと考えて結局十代を探しちゃうのも、やっぱり俺が十代を『家族』だって思ってるからだと思うんだ。せっかく一緒に暮らしてるのに、またどこかに行くって離れるのはすごくイヤじゃないか。たとえ離れていても、家族は家族だけどさ。でもやっぱり一緒のほうがいいんだ」
俺の心の葛藤を、ヨハンはあっさりと看破していたようだ。
「……『家族』って、俺たちそんなんじゃないだろ」
そんなことを言われたら、俺はどう切り返していいのかわからないじゃないか。
「お互い心配しあってれば『家族』だよ。血が繋がってなくたって、ちゃんと心は繋がってるんだからさ」
ヨハンが言う『家族』の意味で心が繋がっているかなんて、俺にはわからない。ただ、あんなに頼れる良い『家族』を持つヨハンが言うと、とても説得力があった。
「俺は欲張りだから、十代の『家族』でもありたい。だから、一緒にいたいんだ」
そのうえ、なんでこいつはこんな恥ずかしいセリフを爽やかに笑って吐けるんだ。何故か似ているといわれる俺だけど、これは絶対に真似できないぞ。
なんだか、悩んでいたことがバカらしく思えてきた。
「一緒にいて、もう二度と顔も見たくないってことになったらどうするんだよ。俺は出て行くぞ」
しょうがないなぁ、と言いながら苦笑すると、ヨハンは満面の笑みを浮かべた。
「そうしたら、俺がおまえを探すよ。十代も俺を探せばいいさ」
「……探すのはルビーだろ?」
「あ、ばれてた?」
「あと、俺もこの街にいたいから、賭けは賭けにならないぜ。やっぱりゴミ出しと朝ごはんな」
「ああ、わかった!」
これから先、ありふれた日々の中で俺は何度も考えて、何度も悩むのだろう。
どうしてヨハンと一緒にいるのか、いつまで一緒にいられるのか、いつまで『家族』でいられるのか、と。
でも、とりあえず今は、明日のありふれた一日を幸せに過ごすためにこのデュエルに勝たなければ。
「じゃあ、俺のターン!」
……声が少し鼻にかかって、ちょっとだけ泣きそうだったのが、ヨハンにはばれませんようにと願った。
175話感想で書いていた、
デュエルしながらプロポーズ→お前ら結婚しちゃえよネタのつもりでした。
さりげにヨハン⇔十代っぽくなったかなぁと思います。
これから先キスは許すけど体はまだ許せない葛藤とかが続くのです(笑)
では、妄想にお付き合いいただきありがとうございました!(2.26-3.3)
BACK