ちかくてとおい
まるで謎かけのような問いに、俺はカードを選ぶ手を止めて振り返りそうになった。自然と猫背になっていた背筋が伸びて、わずかに俺のものではない体温が感じられた。途端に、
「ヨハン!」
十代にしては厳しい声音が飛んでくる。危ない危ないっと。
「別にカンニングなんてしないって。で、なんだよ?『世界で一番近くて遠い』ってさ」
今の俺たちは、背中を向け合ってデッキの編成をしているところだった。背筋を伸ばせば背中がぶつかって、振り返ったら気配でわかるような、そんな近くで。
『これってさ、世界で一番近くて遠いよな?』
こんなことを聞かれたら、気になっちまうだろ。
問いに問いを返すのはよくないけど、今はしょうがない。十代の言葉が脈絡なさすぎるのが悪い。
自分が問いかけてきたくせに、俺の問いには「んー」と小さく唸って。
「わかんねえ」
とだけ返してきた。なんだよ、ソレは。振り返らずとも態度でわかったらしい。十代が再び口を開いた。
「なんか、こうやって背中合わせでいると一番近くにいるのに、振り向かないで顔合わせるのは一番遠いだろ。って、なんとなく思ったんだよなぁ。それだけ」
カードをめくる音と一緒に返ってきたのは、俺には充分な答え。
「振り向かないで顔合わせるって、考えようによっちゃ確かに遠いな」
顔合わせなきゃデュエルもできないし、そもそも振り向かないで顔を合わせるということは、顔を合わせるための一番遠い距離は、地球一周ぶんだろうか。……そんな面倒なことは誰もやらないだろうけど。
大人になったという十代は、その身にまとう雰囲気は変わったけれど確かに十代だった。でも時々、俺が深く考えないようなことを言う。
これが、大人と子供の差、とでも言いたいみたいで、少し焦る。
明日には俺より一足先にアカデミアを卒業していく十代が、遠い存在になってしまいそうな気がしたから。
「まあ、俺は十代を振り返らせるから『世界で一番近い』けどな! だからさっさとデッキ組めよな。時間は待ってくれないぜ」
冗談みたいな本音を告げた。今の十代なら、俺の本気が伝わるだろうって確信して。
「もう終わったのか?」
「ああ。早く十代とデュエルしたくってさ」
「待ってろって。もうすぐ出来るからさ」
結局、十代の口からそれ以上『世界で一番近くて遠い』ことは出てこなかったから、やっぱり伝わったんだと思った。
大人になった十代は、はぐらかしかただけうまくなった。
*
世界で一番近くて遠い。
それは、背中合わせのことではないと今は思うんだ。
俺は、背中を預ける相手は十代しかいないって思ってるし、十代もそう思ってくれてればいい。
確かに振り返らないと顔は見られないけど、背中を預けられる相手の顔を見ないなんてことは、絶対にないだろう。
俺にとって、『世界で一番近くて遠い』ってのは。
「ヨ、ハン……?」
「やっと見つけた」
卒業してからずっと、俺はどこに行ったのかもわからない十代を探してきた。精霊が関わっていそうな事件をありったけ調べて、そしてやっとでたどり着いたのだ。
見つけた背中はあのときと同じ体温を俺に伝えてくるけど、ひとつだけ違うのは、俺が背中を合わせていないってこと。
背後から逃がさないようにぎゅっと抱きしめれば、十代の体はびくりと震えた。
「離せよヨハン、こんなところで何するんだ」
たしかに人の往来はあるけど、そんなことかまうもんか。どうせ誰も気にも留めていないんだ。
「十代が振り向いてくれたら、離す」
十代は俺が後ろから抱きしめてるってわかっているからか、俺のほうを振り向いたりしない。
でも、言っただろ。――俺は十代を振り返らせる、って。
「十代は背中合わせが『世界で一番近くて遠い』って言ったけどさ、俺は今のほうがずっと『世界で一番遠い』と思うんだ。だって、十代が振り向いてくれなきゃ、俺はずっと十代の顔が見られないんだぜ?」
背中合わせなら、一番遠くて地球一周ぶんの距離を行けば顔が見られるかもしれない。
でも今の状況は、どんなに進んでも相手が振り向いてくれないと決して顔を合わせることがないんだ。
「だから、こっち向いてくれよ」
それだけで、これは『世界で一番近くて遠い』ことじゃなくなるんだ。
俺の世界を変えることができるのは、十代だけなんだぜ。
それからしばらくして。
「……結局、俺が負けるわけか」
ぼやきながら振り返った十代に、俺は『世界で一番近い』場所でキスを贈ったのだった。
4810祭さんに投稿しました。(4.25・初出4/20)
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