Glowfly.



 昼間でさえうっそうとした森の中は、夜になるとますます暗く、道も日差しを遮る木も見えなくなる。
 そんな見えない道を確かな足取りで進んでいく、本来は赤い色の制服を目印に、後ろを離れずついて行きながらヨハンは前を歩く十代に尋ねた。
「十代、どこに行くんだよ?」
 だんだん暑くなってきたぜ。
 見えない道を十代の背中を頼りに歩いて三十分ほど。やぶ蚊に刺されないようにと長袖のシャツを着たままだったヨハンの背中には、汗が流れているのがわかる。
「もうちょっとだから、はぐれんなよ」
 ちらりと少しだけ振り向いてから、十代は再び歩き出した。
彼の前にはハネクリボーが道案内するかのごとく飛んでいく。……実際道案内をしているのはハネクリボーなのだろう。実は十代も方向音痴で、この森を抜け出せずさまよったという話を聞いたときにはどうしようもないほどの親近感を覚えたヨハンだった。
 はぐれんなよ、と言われても。とヨハンは思う。
 十代は何を急いでいるのかいつもよりずっと早足で、気を抜くとすぐにあの夜目でもわかる赤い制服が消えてしまいそうになる。もっとゆっくり歩くなり……。
「そっか」
 おもむろに、ヨハンの手が十代のジャケットの裾を掴んだ。
「うわっ」
 早く早くと歩を進めていた十代は、突然の背中への引力に対処しきれずに転びそうになる。
「何すんだよ、ヨハン」
 ぐっと足に力を入れて店頭を免れた十代がじろりとヨハンをにらみつけるが、ヨハンは制服を掴んだまま離すことはなかった。それどころか、
「十代は捕まえておかないと姿が見えなくなりそうだから、このまま掴んでていいか? 十代にあわせて歩くからさ」
 ぎゅっと、シワになるほど制服を握りしめながら言うヨハンの表情は十代からは暗くてよくわからなかったが、
「たしかに、ヨハンは捕まえておかないとすぐに迷子になるからな。でも、ちょっと急げよ」
「なんだよそれー。俺が捕まえてるんだろ?」
「掴ませてやってるんだよ。ほら、行くぞ」
 十代の言葉とともに、掴んだ制服がすぐに離れそうになって、ヨハンは慌てて掴みなおして後を追いかけた。

 進めば進むほどに、道が次第に明るくなっていくような気がする。
 暑さがだんだん和らいできて、代わりに心地よい涼しさがじわじわと伝わってきた。
「なんか涼しくなってきてないか?」
 夜になっても暑さが和らぐことのないこの島で、こんなに心地よい夜が今まであっただろうか。いや、あのレッド寮の古ぼけた扇風機ひとつではとてもこんな良い気持ちになれたことなどない。……そもそもヨハンの部屋は本来ブルー寮にあるのだが、もはや言及するものは誰もいなかった。
「ああ。湖が近いからな。涼しい風が吹いてくるんじゃないか?」
 明るくなってきているのは、湖の周囲だけが開けているかららしい。それにしてもこんなに歩かされるとは、とヨハンは涼しくなった背中を感じながら息を吐く。ヨハンの肩が定位置のルビー・カーバンクルも吹いてくる風に心地よさそうに耳を垂らしていた。
「あとどれくらい歩くんだ?」
「もうすぐだよ。湖だから」
 目的地が湖だということも、ヨハンは今初めて知った。

 暑い暑いと連呼してだらけていたヨハンに、
『デュエルもしないでそんなにだらけてるんだったら、外に出るぞ!』
 と無理矢理ヨハンを外に連れ出した十代だったが、目的地はどこだとも告げずにただひたすら深い森を分け入っていたのだった。
「……湖、って。ブルー寮の目の前にもあるじゃないか。別にこんな森の奥まで来なくたって」
「こっちじゃないとみられないんだよ。……ほら」
 どうやらここが目的地らしい。十代が指さした方向を見ると、開けた湖が見えた。そして。

「なんだ、コレ……」
 水辺一面に飛んでいるのは、点滅する光たちだった。

 うすい緑色の光が消えたり光ったり、それが月明かりに照らされた湖に映し出されてものすごく幻想的だ。
 呆然とするヨハンの手を引きながら、十代はゆっくりと湖に近づいていく。
「この時期にしか見られないホタルなんだってさ」
 光がよりよく見える水辺でヨハンの手を解放した十代は、「はー」と疲れたのかため息をついてしゃがみこんだ。
「なんだ十代、疲れてんのか?」
「急ぎすぎたかも」
 同じように急かされたはずなのに、ヨハンは涼しいのもあって元気を取り戻したようだ。惹かれるままに湖に近づいていく。暗い水面は、底も見えない。
「なあ。この湖、危ない生き物はいないよな?」
「サメやピラニアはいないぞ」
 会話になっているようでなっていない会話が交わされる。十代が何事かとしゃがみ込んだままヨハンを見守っていると、
「これ、水に入ったら気持ちいいよな!」
 と突然靴を脱ぎ始める。ズボンの裾を折ってまくっていくと、ためらいなく水に足を浸した。
「おいヨハン! 入るんだったら、普通危ない生き物の前に水の深さを聞かないか?」
 ぎょっとする十代を尻目に、「大丈夫だ!」とヨハンはさらに数歩進んだ・
「危なかったら、ルビーが教えてくれるからさ」
 言ったそばからルビーが制止の声を上げる。慌てて立ち止まると、ヨハンは改めて十代に向き直った。
「十代も来いよ。すっげえ気持ちいいぜ! それに、ホタルがキレイだ……!」
 突然の乱入者だが、ホタルは飛び去ることなく光を放って浮かんでいるだけだ。その光景はますます幻想的で、十代はただ呆然と、その光景に目を奪われていた。

 初めて会ったときから、不思議なヤツだとは思っていたけど、こうして見ると余計に不思議だよな。
 ハネクリボーやルビーともどもホタルと戯れているヨハンは、まるで別の存在になったようで、このまま消えてしまいそうな、そう、このままどこかに……――――。

「うわっ!?」
『るびぃっ!?』
『クリクリ〜!?』
 十代がそんなことを考えていると、本当にヨハンが視界から消え去っていた。

「……ルビー、ここだけ深いって教えてくれよなぁ〜」
 深みに足をとられて派手に転んでしまったヨハンがなんとか立ち上がる。手はついたが、服がずぶ濡れになってしまった。肩から避難していたルビーはハネクリボーに掴まりながら『るびー……』と申し訳なさそうな声を上げた。掴まられているハネクリボーは重いと抗議の声をあげていた。
 その、ハネクリボーの声が止まる。
「ハネクリボー、もうルビーを離しても大丈夫だ……って」
 ヨハンの言葉も、最後まで紡がれることなく止まった。
 腰に、見覚えある赤い袖がぎゅっとしがみついている。
「おい、十代……?」
 背後からしがみついてくる十代に、ヨハンは困惑する。
 ……普段、ヨハンから十代にくっつくことはあっても、逆は滅多にないのだ。
 黙ったまましがみついたままの十代の腕の力が、さらに強くなって、首筋に、十代のつぶやきの震えを感じた。

「ヨハンは捕まえとかないと消えちまいそうだから。捕まえとかないとダメだろ?」
 命のともし火を燃やす周囲の光と一緒に、どこかに消えていくんじゃないかと、怖くなったのだ。
 腕の力が強まれば強まるほど、ヨハンは苦しいのにそれより嬉しさが勝る。

 いつもくっつくと離せと引きはがされることが多いから、こんなにくっついてこられるって初めてかも。
 なんだ、俺って愛されてるじゃん!

「ああ。ちゃんと捕まえとけよ、十代」
 しがみついてくる腕をぎゅっと両手で握りしめて、
「俺も、ちゃんと捕まえとくからさ」
 互いに表情が見えるときには言わないような言葉をともし火にのせた。


「なんだよ十代、おまえ靴びしゃびしゃじゃないか」
 遅まきながらズボンをまくり上げて、靴をひっくり返して中の水を抜いている十代に、ヨハンは呆れながら自分は制服を脱いで水を絞るが、それでもまだ水滴が落ちていく。
「おまえがこけなきゃ良かったんだよ。ヨハンこそ、ずぶ濡れのくせに」
「うるさいな。転んで悪かったって」
 靴から水が吐き出される音と、いまだぽたぽたという音を立てて水を滴らせながら湖を離れていく二人の後ろ姿を、光の群れは変わることなく見送るのだった。


暑中見舞いその2。背中からハグはヨハンのがやりそうだと思いましたが、ここは十代でやってみた(080803)
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