眠れない夜は



 ただっ広い部屋の足を伸ばしてもまだ長さのあるソファに寝転がって、俺はうだうだしていた。
 この部屋の主は今頃とっくにベッドの中でいい夢見てるんじゃないかと思うんだけれど、あいにく俺はまだ眠れそうもない。

 だって、こんなに楽しい話をしたあとなんだ。眠れるわけないじゃないか!

『でさ、そんときのデュエリストがさー』
『ああ、どうなったんだよそいつ』
 ヨハンが今までデュエルしてきた海外のデュエリストたちの話を聞くのは楽しい。世界中にいろんなデュエリストがいるんだなぁってワクワクしてくる。
 でもやっぱり、ヨハンとデュエルしてるときのほうがずっと楽しいんだよな!

 と、しゃべったりデュエルしたりしているうちに、いつものように門限どころか消灯時間なんてとっくに過ぎていた。いつもなら、レッド寮の俺の部屋で雑魚寝なんだけれど、今日は違う。
『そういや俺、自分の部屋全然つかってないな』
 と、さすがに用意された部屋を使わないのをまずいと思ったヨハンに合わせて、俺もブルー寮に来ていたのだった。
 レッド寮の部屋何部屋分だろうってくらい広い……多分今はレイの部屋になった元・万丈目の部屋より広いだろう……部屋。でっかいテレビのついたリビングにでっかいベッドが入ったベッドルーム。押し入れかと思って開けたドアの向こうは多分ハンガーとかついてたから洋服タンスなんだろう。『こんな広いクローゼット誰が使うんだよ……』と、ヨハンは呆れていた。当然、服は一着もかかっていない。
 そんな部屋で購買で買ってきたドローパンとカードのパックを開けながらいつものように時間をすごして。
『……あ、もうこんな時間かよ。こりゃ、こっちに泊まりだな』
 ヨハンが壁にかかった古時計を見て残念そうに呟いた。たしかに、そろそろ寝ないとまずい時間だ。
 さすがにこんな広い部屋で床で雑魚寝はおかしい。
『ベッド広いし、十代さえよかったら半分ずつ使おうぜ』
 ってふっかふかのベッドを指差したヨハンに、俺は首を振った。
『いや、俺寝相悪いからソファ貸してくれよ』
『遠慮することないのに』
『蹴られても知らないぞ。俺寝ぼけるらしいから』
 ヨハンの提案を断りつつ、俺の身長より長いソファにごろりと寝転がって、早30分。
 眠気は一向に訪れない。

「あいぼー……起きてるか?」
 小声でハネクリボーを呼んでみるけど、どうやら眠っているらしく姿を現さない。
 狭いソファで何度か寝返りを打ってみても、目だけは冴えてきて眠れそうになかった。

 こんなに、誰かと話して楽しいと感じることなんて、滅多にない。
 ヨハンと話していると見たことのない国の会ったことのないデュエリストでさえ身近に感じられてしまうのが不思議だ。俺も会ってみたいって思う。
 それに、こうやって誰かの部屋に泊まるなんてこと珍しいかもしれない。レッド寮の俺の部屋に人を泊めたことはあるけれど、俺が誰かの部屋に泊まりに行くって、そんなことあったっけ?
 空調も適度に効いて、寝苦しいわけじゃないのに眠れない。
 こんなに楽しくて緊張して、眠るどころかますます意識がクリアになっていく。
 俺、こんなんで明日……もう今日だけど……起きれるかな?
 そんなことを考えていたら、奥のベッドルームから薄明かりが漏れ出てきた。
 俺が眠っていると思っているらしく、物音を立てないように立てないように歩いていく小さな足音。
 ヨハンのやつ、何をするつもりなんだろう。
 興味を惹かれて、むくりと身体を起こす。
「どうしたんだ、ヨハン?」
「わぁっ!? 十代、起きてたのか」
 俺が起き出したことに盛大に驚いたらしい。ヨハンは胸を押さえて「ビックリしたぁ」と息をついている。
「なんか眠れなくてさ。ヨハンはトイレか?」
 俺も、てっきりヨハンは寝てるもんだとおもってたから、起き出す用事なんてこれくらいしか思いつかない。ヨハンは「なんだ」と小さく笑った。
「十代も眠れなかったのか。俺もなんだ」
「そっか」
 このまま、話の続きを再開してもいいかも、と一瞬思ったけど、そういうわけにはいかない。それはヨハンも同じだったらしい。
「だから、ホットミルクでも作ろうかと思って。十代も飲むだろ?」
 キッチンに視線を向けるヨハンに「飲む飲む!」と返事をしながら、俺もソファから立ち上がった。

 小さな明かりだけのキッチン。電熱式のコンロの中心に湯気の立つ鍋。
「ヨハン、俺黒砂糖入れてほしいな」
 ただ砂糖を入れるよりは、黒砂糖のほうがなんか色とか味がついておいしいんだよな。
 鍋についているヨハンは困ったように首を振る。
「わりぃ、ここに黒砂糖はないんだ」
 そりゃしょうがないか。砂糖でもおいしいし。
 ヨハンが角砂糖をひとつずつ鍋に入れているのをみながら、おとなしく待つことにする。
 やがて、あたたかくて心地よい匂いが鼻にとどいてきた。
「ほらよ、十代」
 マグカップに半分ほど注がれたホットミルクを手渡される。案外少ないんだな。
「サンキュ。ちょっとこれ、少なくないか?」
 ヨハンの分と見比べてみたけど、どっちも同じくらいの少なさだ。
「たっぷりは飲めないと思うぞ。まぁ、一口飲んでダメだったら俺によこせよ」
 しかも、なんか変なことまで言ってくる。ホットミルク一口でダメなんてあるわけないだろ。
 ワケがわからないまま「いただきます」と一声かけて、カップに口をつけた。

 ……なんだ、これ?
 たしかに、ホットミルクだ。甘い砂糖入りのホットミルクなんだろう。でも、なんか変な味がまじってるぞ。
 ヨハンが作っていたところは全部見たはずだ。普通の牛乳(ドローパンを食ったときのお供の余りものだ)に、普通の角砂糖。普通のホットミルクができるはずなのに、普通じゃない!
 俺はよほどへんな顔をしていたんだろう。ヨハンが「大丈夫か?」と声を掛けてくる。
「なぁヨハン、これ、なんだ?」
 一口飲むとかぁっと身体があったまってくる。ただのホットミルクじゃない。
「やっぱり……十代にはきつかったかもな」
 自分の分をすすりながら、ヨハンは入れていた角砂糖を俺に見せてくれた。ただの角砂糖に見えるけど。
「これ、ブランデーシュガーなんだよ」
「ぶらんでー?」
 ブランデーって、酒か!? 俺の顔に言葉が全部出ていたらしい。ヨハンは小さく頷いた。
「ホットミルクにブランデー入れて飲むのって俺の住んでたところではわりと当たり前だったんだけど、こっちでは違うんだな。
 本当は普通にブランデー入れるんだけど、さすがに酒は持ち込ませてくれなかったから、こいつを持ってきてたんだよ」
 本当は火をつけるんだけどさ。
 ヨハンの口から出てくる新しい世界のあれこれに、俺は「はー」とため息をつきながらホットミルクを見つめた。
「一応、ブランデーシュガーは1個で、あとは普通の角砂糖を入れたからそんなに度数は高くないと思うけど、慣れない奴はすぐ酔っ払うからな。……飲めそうか?」
「ああ、これくらいなら」
 たしかに、最初はくらっとしたけど後は飲みやすい。身体もあったかくなって、だんだん眠くなってきた気がする。
「ありがとな、ヨハン」
 結局全部飲んだコップを片付けながら、ヨハンに礼を言うと、ヨハンは照れくさそうに笑った。

「俺、こうやって家族以外の誰かにホットミルク作ったことがなかったからさ、不味いって言われたらどうしようかと思って心配してたんだ」
「そんなこと言うわけないだろ」

 互いに小さく笑いながら、2度目のおやすみを告げてソファに横になる。今度は心地よく眠れそうだった。
 夢の中で、今度はブランデーシュガーに火をともしてみせるヨハンの姿が出てきたのは、本人には秘密にしておこう。


「……十代。おまえ、本当に寝相悪いんだな」
 寝起きは、非常によろしくなかった。頭に血が上る。これって、二日酔い?
 呆れながら俺を見下ろすヨハンと、宝玉獣たち。それからハネクリボーが困ったように『クリ〜』と鳴いている。
「……はぇ?」
 天井がずいぶん高いし、頭もふかふかのソファの上とは思えない硬さ……って。
「蹴る前に、ソファから落ちたみたいだな」
 ソファから上半身が落ちていた俺は、冗談めかして言ったことを自分で実践してしまったのだと、ようやく思い知るのだった。


4810の日にブランデー入りホットミルクはいかがですか(4.8)
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