横からこっそり
目を開くと、視界いっぱいに蒼が広がっていた。
今、何時だろう?
目を閉じたまま手探りで目覚まし時計をさがすけれどいつもすぐ触れる感触になかなか出会えない。ぱたぱた、とシーツを叩く音だけが聞こえるだけだ。仕方なく目を開くと。
「う……わ」
視界に広がった蒼。時間は読めないけど、蒼を蒼と認識できるくらいの明るさはある。
ふかふかのベッドの心地よさに、俺は一気に現実に引き戻された。
「そっか。ヨハンのとこに泊まったんだった」
俺が見たのは、どうやらヨハンの髪の色だったらしい。
……いや、でも待てよ。
この状況って、変じゃないか?
俺がヨハンの部屋で寝床に借りるのはいつでもソファだった。たまに寝相が悪くて落ちてはヨハンやハネクリボーたちに呆れられることもあった。ヨハンは一度は「ベッド広いんだから一緒でもいいのに」なんて冗談を言っていたけど、俺が盛大にソファから身を投げ出していた姿を見て何も言わなくなった。
でも、今俺が眠っているのは、その広い――レッド寮の3段ベッドの2倍近くあるだろう――ふかふかのベッドの上で。
なんで、俺ベッドで寝てるんだろう。
むくりと起き上がって壁の大きな古時計を見ると、いつも俺が起き出すよりずっと早い時間だった。ヨハンより早く起きたのも初めてかもしれない。
普段感じるぼーっとした感覚もすぐに収まって、俺はとなりで眠っているヨハンの肩から毛布がずり落ちていることに気づいて慌てて少し距離をとった。俺が起き上がったことで毛布がめくれてしまったようだ。
幸いにも、ヨハンは起き出す様子もなく俺に背中を向けて寝息を立てている。
『あら、十代。目を覚ましたの?』
「わっ!?」
突然ベッドの足元から聞こえてきた声に俺は思わず大声をあげてしまった。
『ちょっと、ヨハンが起きちゃうでしょ』
むっとした声は、気づいたら俺のすぐとなりにきていた。キレイな紫色の宝石を胸に宿した獣。
「ご、ごめん。アメジスト・キャット」
『あたしこそ驚かせてごめんなさい。おはよう十代』
「おはよ」
触れることはできないけれど、アメジスト・キャットの頭をなでるような仕草をすると、彼女の瞳は心地よさげに閉じられる。
「今日はお前がヨハンを起こす係なのか?」
毎朝、ヨハンは宝玉獣に起こしてもらっているらしい。彼らにとってヨハンを起こすというのは朝の楽しみらしく、ケンカにならないようにちゃんと順番を決めてまでいるんだそうだ。
『ええ。でも、まだ早いからもう少し寝かせてあげようと思うの。十代ももう少し眠ったら? 一緒に起こしてあげるわよ』
「……爪はカンベンな?」
『ふふ、今日もちゃんと研いであるわよ』
くすくす、という笑みと鋭い爪のコンボはなんだか怖い。
そうだ、彼女なら俺の今の状況の謎を教えてくれるのかもしれない。
「なあ。何で俺、ここで寝てるんだ? いつもはソファで寝てるのに」
俺の問いかけに、彼女は『忘れちゃったの?』と苦笑する。
『デュエルトーナメントのDVDを見るんだ、って遊びにきたのに、ヨハンがシャワーを浴びてる間にあなたベッドで寝ちゃってたんじゃない』
あれ、そうだっけ? 記憶の糸を手繰り寄せて……思い出す。
「そっか。このベッドすんげーふかふかでさ。気持ちよくてつい寝ちまったんだ」
『あんまり気持ち良さそうに寝てたから、起こすのは悪いなって言ってたわよ』
いつか万丈目の部屋のベッドをトランポリン代わりにして遊んだことがあったけど、あれ以上の心地よさだった。
「サンキューな、ヨハン」
小さく、背中に呟いて。
なんとなく、頭を撫でてやりたくなってしまった。
さっきアメジスト・キャットにしたように、今度はヨハンの空色の髪に触れてみる。さら、とした感触が指先を滑っていって、そういえばこんなことを誰かにしてやることって滅多にないよな、と思った。
俺が頭を撫でていてもヨハンは起きることなく眠っているようだったが、もしも起こしてしまったら隣の彼女の視線が痛い。俺は手を離して、そっと彼女の様子を伺った。もしも怒っていたらどうしよう。
『それにしても、ヨハンは本当に十代のことが好きなのね』
彼女は、怒るどころかとても優しい表情を、俺を通り越した先の背中に向けていた。
「え?」
首をかしげる俺に、彼女もまた首をかしげてくる。
『ヨハンがこんなに誰かに心を許したのを見るのは初めてよ。誰にでも……人間にも精霊にも優しい子だけれど、この子があんなに心を砕いてる人間は、あなた以外にはいないわ』
そ、そうなのか?
いつも一緒にいてすごく楽しくて、何でも話せる気安さがあって、あまり人にべたべたされるのが好きじゃない俺が、ヨハンと一緒にいるのはすごく心地よいって思っていたけれど、ヨハンもそう思っていてくれたのなら……嬉しい、のかな?
「俺も、ヨハンといるのは楽しいよ」
『そう? それなら、これからもヨハンと仲良くね』
なんだか、とても気位の高い彼女に言われると背筋を伸ばして答えたくなってくる。
俺も言葉を返そうとして、思いとどまった。
「なあ、アメジスト・キャット」
『何かしら?』
「ヨハンってさ、なんで俺にキスしてくると思う?」
一瞬、場が凍りついた……気がする。
もしかしなくても、俺は言ってはいけないことを言ってしまったんだろうか。
「ほ、ほら。外国人って挨拶にキスってよくあるって吹雪さんが前に言ってたけど、ヨハンってどうもそれ以外でもキスしてきてたからさ」
ついでに、吹雪さんが言うには「僕のキスは挨拶以上に饒舌なんだよ」って話らしい。ジョウゼツって何だ?
それはともかく、口に出してみて、どう見ても挨拶じゃないキスのほうが多いことに気がついた。いつかの朝にほっぺたにされていたヤツは多分、挨拶だろうとはおもうけど、それ以外……デコチューとか……は今思えば挨拶にしては変だ。
爪が怖くて慌てる俺に、彼女はぽかーんとした表情のままだった。
ヨハンがデッキを持っている限り、いつでも彼女たちはヨハンのそばにいる。当然、ヨハンが俺にキスをしてきたところもばっちり知っている……はずだ。
俺が、何に気づいていないと言いたいんだろう。なんだかとても、雲行きが怪しい気がする。
「い、いや、別にキスされるのがイヤだってワケじゃないんだ。たまに舐められるのは食われそうだからイヤだってだけで」
慌てて言い訳してみるけど、まだ彼女は呆然としたままだ。
『嫌ではないの?』
そして、こんなことを聞いてくる。
「え。……ああ。そりゃ、いきなりだからビックリはするけど、挨拶とかなら普通かなって思ってたから。でも、今考えると違うよな」
『……相当ね』
「は?」
『いいえ、何でも』
盛大に溜息つかれてこんなふうに言われると、ちょっと傷つくぞ。俺が何もわかってないみたいじゃないか。
でも。
「ヨハンが悲しそうな顔するのは、胸がちくっとするから、俺ができることなら何でもしてやりたいって思うよ」
舌をヤケドして、舐められそうになったのをブロックしたあのときの悲しそうな顔は胸が痛んだ。
単に、ブロックにつかったカードがあのカードだったからだって思っていても胸が苦しくなったんだ。
『十代、それは……』
アメジスト・キャットが何かを言いかけて、口をつぐむ。
「どうしたんだ?」
短い付き合いだけど、彼女がこうやって言いよどむのは珍しい。いつでもはっきりモノを言うからだ。
『やめた。あたしが言っちゃ意味がないことだもの。十代がちゃんと考えなくちゃ』
「何だよそれ」
何か考え込んだかと思ったら、とても楽しそうな顔をしている。なんなんだ、いったい。
ちょっとむっとした俺は、平和そうに寝ているヨハンを見て腹が立ってきた。
俺がアメジスト・キャットに笑われている間にも寝てるんだもんな。まったく、早く起きればいいのに。
そうだ。
俺が起こせばいいんだ。
にやにやしてるアメジスト・キャットには悪いけど、ヨハンの顔をのぞきこむ。
横からでも、まだまだ夢の中といわんばかりの表情なのはわかった。
「……ただ起こすだけじゃ、つまらないよな」
ぼんやりと、挨拶でされたことを思い出す。あれ、くすぐったくて笑いそうになったんだよな。
よし、決めた。
『どうしたの、十代?』
俺の様子にアメジスト・キャットが声をかけてくる。
俺は身をかがめて、
「ヨハン、まだ起きるなよー」
今、俺が起こしてやるからな。そしてくすぐったさに笑え。
横からこっそり、頬にキスしてみた。
自分以外の人間の体温が唇を通して感じられることに、俺はぎょっとして唇を離す。
今まで急にヨハンにキスされたときは、いつも驚いてる間に次の行動を起こされそうになっていたから気にしたことはなかったけど、実際自分でやってみると、ものすごくどきどきするんだな。挨拶なのに。
『十代!?』
驚いた顔のアメジスト・キャットの爪攻撃アメジスト・ネイルが飛んでくるかと思いきや……考えてみれば、飛んできても痛くないが……彼女は呆然と俺を見ているだけだった。
そして、俺も。
「あ、れ?」
挨拶のはずだったのに、鏡がなくても顔が赤くなっていくのがわかる。
ものすごくいたたまれなくなって、俺は慌ててベッドから降りた。
『どうしたの?』
我に返ったらしいアメジスト・キャットも慌てて俺に声をかけてくるけど、俺はソファにおいてあった赤いジャケットを探し出すので精一杯だった。
「ごめ、俺帰るから!」
『ちょ、ちょっと』
『るびるびっ!?』
『どうかしたのかのぅ?』
俺とアメジスト・キャットの様子に起き出したらしいほかの宝玉獣たちが何事かとこちらに視線を向けてくる。
とたんに賑やかになってしまって、俺は必死に荷物をまとめて持って部屋を飛び出した。今ヨハンが起きたら、なんだかものすごく、気まずい。
せめて、この顔をどうにかしないと、顔を合わせるのもなんだか……と思う。
笑い起こすだけのつもりだったのに、なんで俺がこんなに顔を赤くしなきゃいけないんだ。
『クリ〜?』
いつの間に俺のそばにいたのか、ハネクリボーが心配そうに俺を見てくるから、
「だ、大丈夫だから。相棒」
心配させまいと笑みをつくった。
ここまでたどり着くのにえらい時間がかかった気が…!
これを書くためにアメジスト・キャットを拍手SSに登場させて練習していたのでした(2.20)
BACK