変 化
(10のキスの仕方・紳士ですから - ヨハンSIDE)
広い部屋に俺ひとり。……正確にはひとりじゃないけれど、食事がとても味気なく思える。
「十代の奴、なんだってんだよ」
スクランブルエッグをつつきながらむくれていると、肩にのぼってきたルビーがちいさく鳴いた。俺を気遣ってくれてるらしい。
やっぱり、ごはんはみんな一緒に食べたほうが楽しいと思う。一応ブルー寮にも食堂はある。一度だけ、ジムと一緒に行ってみたら高級ホテルばりの豪勢さでものすごく居心地が悪かった。それ以来ジムも俺もルームサービスでふつうの朝食をリクエストすることにしたのだった。もっとも、俺はほとんどレッド寮で朝食をとっているからこっちで食べることはほとんどないけど。
外はカリカリ、中はふんわりなトーストにバターを溶かしていると、レッド寮の朝ごはんが懐かしくなってくる。昨日の朝も食べたのに、遠い昔に食べたっきりみたいだ。
いや、多分、こんなに朝ごはんが味気ないのは十代がいないせいだ。誰かと食べるごはんはとてもおいしいけれど、十代とだったらそれよりずっとおいしい。
「やっぱり、嫌だったのかなぁ」
男と同衾なんて、普通嫌だよな。熱く語りすぎて床で仲良く雑魚寝したってことはあったけど、今回は広いとはいえベッドだったしな。でも、それにしたって何も言わずに帰ることないじゃないか。せめて起こしてくれれば良かったのに。
『嫌だってことはなかったわよ』
今まで沈黙を保ってきたアメジスト・キャットが声をあげた。そういえば、アメジスト・キャットは十代が起きたときから起きてたんだよな。用事があるから帰ったって教えてくれたし。
「なあアメジスト・キャット。十代、何の用事って言ってた?」
とたんに、アメジスト・キャットだけじゃなくてみんながびくりとする。
『さあ。用事までは言ってなかったわ』
そうだったのか。それにしても、朝から宝玉獣たちの様子がちょっとおかしい気がする。なんだろう。みんな何か隠してないか?
『それよりヨハン、そろそろ朝食を切り上げないと間に合わないんじゃないのか?』
サファイア・ペガサスがくい、と首を時計に向けた。
「うわ、まずい!」
すっかりペースを乱されている。俺はあわててスクランブルエッグを食べきった。
急いでごはんを食べた分、胃が重い。でも、走ったおかげで始業には少し余裕があって安心する。そういえば十代は先に来ているかなと思った瞬間、前を歩いている赤い制服が目に入った。
遠くからでもわかる。あれは十代だ。惚れた欲目じゃないけど、あのレッド寮の制服が一番似合ってるのって十代だよな! 後ろ姿もサマになってるけど、やっぱり前から見たいよなぁ……って、何考えてるんだろうな、俺。
「おーい、十代!」
聞こえるように声をはりあげると、十代がピタっと固まった。ん? まさか俺がわからないなんてことはないよな?
やけにゆっくりと振り返る十代の表情は、遠くて見えない。俺は距離を詰めながらじぃっと十代の顔を見た。あれ、何かいつもと違うような……。
「おはよう。朝いなくなってたからビックリしたんだぜ。起こして声かけてくれればよかったのに」
とりあえず普段どおりに声をかける。
「お、おはよう。起こしちゃ悪いなーって思ってさ」
十代もいつもどおりに挨拶を返してはきたけど、どこかぎこちない。
やっぱり、俺がソファで寝れば良かったのかなぁ。
「ま、いいさ。今日こそDVD見ようぜ」
さすがにストレートには聞けなくて、結局別の話題を出してしまった。そういえば、昨日はDVD見ようって十代を部屋に泊めたんだったな。忘れてた。
「あー、昨日はごめんな。俺、勝手に寝ちゃって」
俺が話題に出す前に、十代から昨日のことを振られる。俺はちっとも嫌じゃなかったんだ。どきどきはしたけど。
「いいって。いい夢見られたんなら良かったよ」
俺もいい夢見させてもらったしな。
そっちは口に出さずに笑う。十代も笑い返してきたけれど、急に顔をそらされてしまった。
「と、とにかく教室行こうぜっ!」
そしてやっぱり突然走り出す。そらされる直前、十代の顔が真っ赤になった気がしたんだけど、何かしたのか、俺。
「どうしたんだよ、十代!」
俺も慌てて走り出す。何で俺と話してて急に赤くなるんだよって聞きたかった。嫌な顔はされなかったけれど、これはとても気になる。だって。
「……まさか、な」
昨夜感じた胸の高鳴りがまたぶり返してくる。俺の顔も、知らず赤くなっていった。
十代に朝のことを聞けないまま、放課後になってしまった。
時間が経つにつれていつもの十代に戻っていったから、俺も聞きそびれてしまったのだ。
そして今日も、屋上で実技デュエルの反省会をする。
「で、俺はやっぱりここでこれを狙いたかったんだよ」
十代の指先が、カードを滑っていく。
「うーん、でもそのコンボは相手が封じようとしてたんだよな」
「そうそう。そうなんだよ。そう思って、こっちに作戦変更したわけだ。でも……」
カードを指差しながら考えごとをする十代が、俺は好きだった。
すらりと伸びた指はカードを傷つけないようにきれいに爪が切られている。そしてカードに向ける真摯な視線。自分のデッキを信じて、出来る限りの可能性を詰め込んで、それをどう生かしていくかを考える。デュエリストとしての理想形がここにある、と考えてしまうのも惚れた欲目だけじゃないだろう。
こんなこと考えてるって知れたら、宝玉獣たちに呆れられてしまいそうだけど、いいだろ。そんな十代がみんな好きなんだからさ。
二人で書きだした相手のカードの順番と照らし合わせながら、ここでこうすればどうなった、とか考える。母国語じゃない俺の字が汚いのはしょうがないにしても、十代の字もけっこう汚い。クセさえわかれば読むことはできるけれど、最初は読み方聞いてたっけ。
「結局は、こっちのカードを残しといたおかげでうまくコンボが決まったんだけど、もっとスマートに出来たかもなぁ。楽しかったけど」
「今回はこれが手一杯じゃないか? どのカードが出ても相手がコンボを邪魔してるのには変わりないんだからさ」
俺が見た限りじゃ、十代の切り返しは見事の一文字だった。相手も食らいついて来てたからこれ以上スマートな戦略は立てられないだろう。
「だよなー。じゃ、俺の分は終わりっと。今度はヨハンの番だな」
「ああ」
と、俺もカードを広げようとして空がだんだん暗くなってきたことに気づく。もうそんな時間なのか。
「じゃあ、俺の分はブルー寮でやろうぜ。例のDVDも見たいしな」
俺の提案に十代も「そうだったな」と頷く。十代がカードを片付けるのを待っていると、突然十代の顔が歪んだ。
「いてっ」
痛みを訴えて、手にしていたカードの順番を書いた紙を手放してしまった。
十代が慌てて紙を追いかける。正直、あの字は他の人間には解読不可能だから心配はないと思うが、十代はそこまで考えていないらしい。
「風、吹くなよー!」
こちらに向かって地面を這う紙めがけて飛び込む十代。おまえ、バカかっ!?
案の定、紙は十代によって巻き上げられうまく風に乗ろうとしていた。ちょうど俺のもとに飛んできた紙をしっかり捕まえて、十代を見下ろす。飛び込んだショックで痛いらしいが、それ以上に。
手の甲についていた赤い傷あとに手にしていた紙を握りつぶしそうになった。
紙を差し出すと、十代の顔に安堵の色が広がった。
「まったく。何やってるんだ、お前」
「うう。サンキュ、ヨハン」
注意深く、傷あとのある手で紙をポケットに入れたのを確認してから俺は十代の手を掴んだ。
「手から血が出ているぞ。大丈夫なのか?」
俺が掴んだことで、まだ塞がっていない傷口から血がじわりと一直線に出てくる。痛みを堪えるような十代の表情。
「ああ。さっき紙で切っただけだから」
十代が言い終わらないうちに、掴んだ手を離して持ち替える。
俺の好きな十代の手に、こんな傷があるなんて許せない。
赤く走る線にそっと唇を寄せる。感じるのは、十代がここにいる……生きている証。まるで貴婦人の手をとり口付けるように、でも、それよりずっと深く大切に。鉄の味に眉をひそめて血を舐め取りながら、昨日、誰かを探して彷徨っていたのはこの手だったと思い出した。こうやって、十代の手を掴めるのが俺であればいいのに。
いつもなら、十代はこの辺で手を振りほどいて「何するんだよ!」と怒ってきてもおかしくないと思ったけれど、何故か今回はそんな反応がこなかった。俺は調子に乗って思うさま十代の手に口付ける。本当は、指先ひとつひとつ口付けて敬愛の念を示したかったけれど、これは『消毒』の名目でしていることだから、そこまでは出来なかった。
さすがに調子に乗りすぎたと、「あとでバンソウコウ貼っとけよ」なんてもっともらしいことを言って十代の手から唇を離す。
十代の顔が赤いのは、俺にいいようにされた怒りなのか、それとも別のものなのか。
「何、するんだよ……」
手を取られたまま問いかけてきた十代に、俺は冗談まじりに答えることしかできなかった。
「何って、こういうのは舐めときゃ治るだろ。ほら、俺って紳士だからさ」
――本当は、ずっとその手を掴んでいたかったなんて、言えるわけないだろ。
格好つけて一礼する俺から、十代の手が離れていく。
てっきり文句のひとつでも言ってくると思っていた十代は、顔を真っ赤にして「は、早く行こうぜ!」と走り出してしまった。
今日の約束を反故にするつもりはないのは嬉しいんだけど、まさか、な……。
十代の態度が突然変わったことに混乱しながら、俺は好きな赤い背中を追いかけた。
お題にものすごく悩んで、結局こんな感じに。紳士言いつつ、このヨハンはそのうち獣に化ける気がします。(3.8)
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