まぶたに
ブルー寮の個室のリビングのただっ広さには毎度驚かされる。
レッド寮の食堂に置かれたテレビよりずっと画面の大きいテレビと、最新式のDVDプレーヤーが正面にあって、これからレアもののトーナメントDVDを見るっていうのに俺はぼーっとしてしまっていた。
カウンター式の簡易キッチンから聞こえてくる音は、紅茶を用意する音だろうか。
部屋の主が俺に飲ませてくれるのは匂いだけは甘い……でも味は渋い紅茶だ。たまに普通の紅茶にジャムを溶かしてくれることもあって、そっちのほうが俺は好きだった。
ついでに、一度コーヒーを出されたことがあって、あまりの苦さに思いっきり顔をしかめてしまって以来、ブラックコーヒーは出てこなくなった。出されるようになったのはたいていミルクと砂糖たっぷりのカフェオレか紅茶で、ちょっと悪い気がしている。
……今朝から、俺は絶対に変になっているんだと思う。
こんなどうでもいいことを気にしてしまったり(それはヨハンのせいだ! とも思う)、そもそも、何でこんなもやもやが復活してしまったんだろう。
屋上での出来事から慌ててブルー寮に駆け込んで、そのまま何事もなかったようにヨハンとの反省会を再開した。ヨハンも何も言ってこなかったし、デュエルの話をしているときはもやもやしてはいなかったんだ。なのに、
『そういえば、その手の傷にバンソウコウ貼っとけよって言ったんだよな』
と、思い出させられた。
慌てていて保健室に寄らなかったせいだとはいえ、今更蒸し返さないでほしかったんだぜ。
あの手を、唇を拒んだら、きっとヨハンはまた悲しそうな顔をすると思った。それを見たくないって思ったのもあるけれど、それ以上に、あんなに胸が痛くなったのははじめてかもしれない。
手の甲には、さっき渡されて、自分で貼り付けてみたバンソウコウ。
もう、紙で切ってしまったときの痛みはないけれど、でも、どこか痛いんだ。
傷がついた場所じゃない、どこかが。
「十代?」
「わっ!?」
ひょい、と目の前が蒼く染まる。俺の顔をのぞきこむようにして、ヨハンは首をかしげていた。
「どうしたんだよ。テレビつけとけばいいじゃないか」
いつもならどうでもいいバラエティーを見ながらお茶を待っているのに、どうも今日はそんな気分にはなれなかったのだ。
差し出された紅茶は、甘い香りを漂わせていて、でもきっと渋い。とにかく落ち着かなくてはと、俺は熱いお茶をぐいっと飲んだ。喉にひりつく感触が走っていくけど、熱がってる場合じゃない。
紅茶を飲み干したおかげか、だんだん慌てていた気持ちが消えていく。渋みも意外といいもので、熱が引くころには何で焦っていたのかわからないほどに落ち着いた。それと同時に、考えすぎていてエネルギーを使いすぎていたのか腹が突然鳴った。ああ、もう夕飯の時間だっけ。
「DVDもいいけど、その前にメシが食いたいな。あ、食べながら見るか?」
結局、食欲には勝てない。そんな俺にヨハンは呆れた顔をしてみせた。
「食事しながらテレビなんて、行儀が悪いだろ」
「え、そうなのか?」
別に、昔からテレビ見ながらゴハン食べてた俺には行儀が悪いとは思えないけどな。
むしろテレビついてないと音がなくて寂しいじゃないか。
今度は俺が首をかしげる番になって、そんな俺にヨハンは苦笑をむけてきた。何だよ、失礼なヤツだな。
「じゃあ、夕飯を食べてからDVD見ようぜ。何頼もうか」
ものすごい立派で硬い紙で日本語のほかに何語で書いてあるのかわからない、そのうえカタカナも何の意味か理解できない料理が書いたメニューを手渡される。……困った、何を頼めばいいんだ?
「えと、オムライスプレート!」
とりあえずわかるものを頼むことにすると、ヨハンも同意した。
「じゃ、俺もそれにするかな。……このメニュー、どんな料理か想像つかないんだよな」
「よくブルー寮の奴らこんなの頼めるよなぁ。俺はやっぱりレッド寮のゴハンのが好きだな!」
「うんうん、俺もそう思うぜ!」
「んー、食った食った」
「本当によく食うよなぁ、十代は」
唯一どんな食べ物かわかったオムライスプレートを食べきって、俺はすこし膨らんだような気がする腹を撫でた。
食後には甘いカフェオレが出されてくる。牛乳を温めてから加えたらしく、熱いままで美味しい。
それに、たしかにテレビがついてなくてもちっとも静かじゃなかった。あいかわらずハネクリボーとルビーのケンカが始まって、それを諌めようと俺たちが立ち上がろうとするのを、食事中に行儀が悪いとバーストレディに逆に諌められて、ハネクリボーたちはフェザーマンに首根っこをつかまれていた。呆れる宝玉獣やヒーローたちを見ながら、つい笑ってしまった。ヨハンたちと一緒だと、ゴハンひとつもこんなに楽しいもんなんだな。
俺に甘いカフェオレを作ったのに対して自分はブラックコーヒーを飲みながら、ヨハンはさて、とおもむろにDVDプレイヤーのリモコンを手に取った。
「じゃあ、DVDみようぜ」
「おう!」
何しろレアもののトーナメントのDVDだ。えっと、いつの大会だったっけ……? たしか、まだあのカードが禁止カードに入ってないころのだったよな。
そんな考えも、画面にデュエルの光景が映し出されたとたんに全部吹っ飛んだ。
「おおおおおおお!! すげえ、ダメージをしのぎきった!」
「この状態で反撃できるなんて、やっぱりプロはすごいな!」
まるで会場で見ているかのような臨場感に、俺もヨハンもすっかり夢中になった。
でっかいテレビに映し出される迫力のあるデュエル。アカデミアよりずっと立派なつくりの会場にはたくさんの人たちが入っている。みんなこのデュエルに見入っているんだ。それは、こうして画面の外にいる俺たちも一緒だった。
「ああ、こんなデュエルやってみてえよ!」
思わず興奮して画面に声援を送る。一応、結果はわかっているけれど応援せずにはいられない。興奮しながら、俺は「な、ヨハン!」と同意を求めようとして、ヨハンのほうを向いた。
ヨハンの表情は真剣そのもので、画面の向こう側のデュエルを一瞬たりとも見逃すまいとしている。
俺がそっちを向いたことにも気づかない。翡翠の強い視線はただただ画面だけに向けられていた。
ヨハンの強い視線は、見ているだけで俺もものすごいデュエルが出来るような気がしてくる。
初めてのデュエルのときも強い視線を向けられて、こんな奴とデュエルできるのかって考えただけでものすごく楽しくて、気づいたらどんな手を使おうとしていたのかを聞いていた。そのまま、屋上にあがって日が暮れるまでお互いのデュエルについて語り合ったっけ。
ヨハンは俺にとって、かけがえのない親友でデュエリストだ。
それはずっと思っていたことなんだけど。
視線をふと、目の下のほうに持っていく。と。
……鏡がなくても、俺の顔が赤くなっていくのがわかる。形の良い唇がきっと引き締まっているのが見えて、そう、この唇に何度も……放課後にも手の甲に……キスされたんだと考えた途端だった。
俺、何赤くなってるんだよ。絶対、絶対に変だぞ。
デュエルも終盤。俺も一瞬たりとも展開を見逃すことなくしっかりと目に焼き付ける。当日会場に行くことが出来なかったのがこんなに悔しいと感じられるデュエルにはなかなか出会えない。
もし、今みたいにヨハンと一緒にこのデュエルを生で見られていたら……そんなことを考えて、苦笑してしまった。ヨハンと出会う前――そもそもアカデミアに入学するちょっと前くらいのトーナメントだったんだ。ヨハンと一緒に見られるなんてことはなかったはずなのに。
でもきっと、一人で見るよりこうやってヨハンと一緒に見たほうが何倍も楽しかっただろうって思う。ゴハンを食べていたときと同じように。
ヨハンも、俺と同じに思ってくれていればいいんだけどな。
「はぁ、すごかった……!」
「ああ、もう俺、途中から興奮しちまって、DVDだって忘れてたぜ」
テレビがタイトル画面になってしばらくしてから、俺たちはため息をつきながら感想を語り合った。
あのターンの伏せカードがこんな展開を予測してのことだとは思わなかったとか、上級モンスター召喚までの流れがとてもスムーズだったとか、禁止されてしまったカードが使われていたけど、もし使えない今のルールでデュエルしていたらどうなっただろうとか、話はとりとめがなくて、気がついたら。
「うわ、もうこんな時間だ」
ヨハンの言葉に古時計を見上げると、既に日が変わろうかという時間になっていた。
今外を出歩いてレッド寮に帰るのは危険だ。先生たちやセキュリティのおじさんたちに見つかるっていう意味で。
だから、いつものように、
「ヨハン、悪いんだけどさ」
泊めてくれよ、そう告げようとして、はっとした。
昨日、ベッドを半分占領したあげく、俺は何をしたんだ……っ!?
そのせいでなんだかものすごくもやもやしてるのに。
「ああやっぱりいい……」
「いいぜ、泊まってけよ」
俺が言いかけた言葉をしまう前に、ヨハンがOKを出してしまった。
「いや、俺今日は帰るから」
こんなことを言ったら、きっとヨハンはガッカリするんだろうなって思ったけど、俺がとっても気まずいのだ。
「何でだ? こんなに遅いんじゃ危ないだろ」
案の定ガッカリそうな顔のヨハンに胸が痛くなる。
なんで、俺ばっかりこんなに胸が痛いんだろう。
ヨハンはなんともないってのが、やっぱりやっぱり腹が立つ。
「それに、まだ話し足りないんだよ。
俺、お前とだったらあんなすげえデュエルが出来そうだって思ってるんだから、どうすればあんなのが出来るのか一緒に考えようぜ!」
ガッカリしてたかと思えば、にかっと笑って言われて。
あんなに腹が立って、やつあたりしてやろうかと思っていたのが全部吹っ飛んだ。
どうして、こんなに俺は痛いんだろう。痛いのに、今はすごく嬉しいんだ。
ヨハンが同じこと考えてればいいなぁって思ってたから、本当にそうだってわかって、嬉しいんだと思う。
こんなに俺の頭の中がぐちゃぐちゃなのは、絶対にヨハンのせいだ。
「十代!?」
「え」
ヨハンがものすごく慌てた顔をして「あー」とか「うー」とか唸って、そして。
肩をつかまれてぐいっと引き寄せられて。
「何泣きそうなツラしてるんだよ」
まぶたに、薄い唇が触れた。
「泣くなよ」
別に、泣きそうな顔なんてしてないのに、何でそんなこと言うんだよ。
これが、さすがに『挨拶』でも『消毒』でもないキスなんだって、俺にだってわかるぞ。
もう、自分で考えるのが嫌になってきた。
俺ばっかりがこんなに胸が痛くてあったかくて苦しくて、こんなに忙しいのに、ヨハンがものすごく余裕なのが嫌だ。
だいたい、そもそもの原因は絶対にヨハンなんだ。
つん、と鼻の奥が熱くなっていくのを感じながら俺はヨハンの胸倉を掴んで、問いを投げかけていた。
我ながら随分と強い口調だな、なんて思いながら。
「何でそうやって俺にキスしてくるんだよ!? ヨハンの考えてること、わかんねぇよ!」
長い一夜が始まりましたよ!
どんな夜明けが来るのかは未知数ですが(3.25)
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