一番優しいキスを
(10のキスの仕方・まぶたに - ヨハンSIDE)
「おい、十代ってば!」
ちっとも立ち止まることなくブルー寮の俺の部屋の前まで走ってきた十代は、ドアの前でぜえぜえと荒い息を吐いていた。
それにしても足が速いな。追いつけなかったぞ。
「はぁっ……、ヨハン、水……」
「待ってろって」
ドアを開けたとたん、部屋の中でへたりこんだ十代に水を汲んできて渡す。ついでに、浄水器の水をポットに入れて、湯を沸かしておく。本当はやかんがいいんだけど、景観を損なうからかキッチンにやかんがなかった。……キッチンに景観もなにもあったもんじゃないって思うけどな。俺の分の反省会が終わる頃にはちょうど沸いているだろう。そうしたら、おいしい紅茶を淹れてやるか。コーヒーは苦くて飲めないけど、紅茶なら十代でも飲めるだろう。さっと手持ちの紅茶缶を一瞥して、渋みの少ないものを用意する。
ああそういえば、あの傷にバンソウコウ貼っとけって言ったけど、十代が持ってるわけないよな。保健室にも寄らなかったから、それもこっちで用意してやるか。
ついでに備え付けの救急セットからバンソウコウを取り出してポケットに突っ込んだ。
「で、このカードの効果で相手は攻撃を無効化しようとするだろうって思ったから、俺はこうしたんだ」
「はー、なるほどー」
さっきまでの疾走の疲れなどこれっぽっちも感じさせずに、俺の説明をふむふむと聞いている十代の顔を盗み見る。
やっぱり、こうやって顔つき合わせてデュエルの話をしているときの顔がとても楽しそうで、好きだ。
顔を突き合わせるたびに「俺って十代を好きなんだよな」と何度も思ってしまう。ここまで来ると、いっそ病気だよなって思う。ああそっか、これも恋の病ってやつか。
楽しそうな表情とは対象的な、手の甲の切り傷。少し赤くミミズ腫れを起こしていて、やっぱり痛々しい。せめて隠せたら、と思う。
「じゃ、これで俺の分も終了っと。お茶淹れて来るな」
「ああ」
手早くデッキをケースにしまって、ポケットの中を探る。首をかしげている十代は、案の定手の傷のことなんて忘れているんだろうか。
「そういえば、その手の傷にバンソウコウ貼っとけよって言ったんだよな」
ほらよ、とバンソウコウを差し出すと、十代の顔が一瞬間抜けなほど呆けて、それからふい、とそらされた。
「さ、サンキュ」
バンソウコウを貼る手のおぼつかなさに、手を貸してやろうかと思ったけど、「大丈夫だからっ!」といわれてしまっては手の出しようがない。
しかたなく、そのままキッチンへと籠もることにした。
「……どう思う?」
俺の小さな問いかけに、普段なら現れるだろうアメジスト・キャットは何故か現れない。代わりに
『るびっ?』
ルビーが俺の肩に乗りながら首をかしげてくる。首を傾げたいのはこっちなんだけどな。
それにしても、宝玉獣たちも何か知ってるみたいなんだけどな。十代の変化。なんで誰も教えてくれないんだよ。
っていうか、今まで俺がどれだけ態度で示してきても、ちっともわかっていなかった十代がだ。なんで今日に限ってこんなに反応がいいんだろう。いつもだったら真っ赤になって怒り出しそうなことだったのに、真っ赤になっても怒られたりはしていない。それどころか。
「……俺、本当に期待してもいいかもしれない……」
自然とこっちの顔まで赤くなる。ポットが沸騰を告げる音がなかったらこのままキッチンで赤くなりつつ固まっていたのかもしれない。
今までの『辛さ』も全部消えていくのかと考えると……それ以上に十代のことを考えると本当にどうしようもなく。
「……紅茶を淹れよう」
いつもだったら面倒でやらないくらい律儀に丁寧に淹れてみる。
俺の様子に、アメジスト・キャットとサファイア・ペガサスが笑っているのを気配で感じた。
我ながら、今日の紅茶は香りも飛んでいないし適温だしうまく淹れられたと思う。十代はジャム入りの紅茶が好きみたいだけど(あれ、ジャムを舐めながら飲むヤツだったんだけどまあいっか)、今日はフレーバーティだからジャム抜きだ。そんなに渋みも出ていないのは自分で飲んで確認済みだ。
リビングに戻ると、十代はテレビの前でぼーっと座っていた。いつもならよくわからないテレビ番組を見ながら待っているのに、テレビは黒い画面のまま。心ここにあらずって感じだった。
「十代?」
ひょい、と顔をのぞきこむ。俺の気配にさえ気づいていなかったのか、「わっ!?」とゴーストを見たかのような声をあげられてしまった。
「どうしたんだよ。テレビつけとけばいいじゃないか」
紅茶を差し出しながら問いかける。十代は赤い顔のままで紅茶を受け取ると、そのままぐいっと一気飲みした。
……絶対味わってないな、コイツ。
普段ならわかりやすいほどに渋そうな顔をしたり苦そうな顔をしたりうまそうな顔をするのに、今はそれがない。なんとも淹れがいのない飲み方をされてしまったけれど、だんだん十代の顔から赤みが消えていく。落ち着いてくれたらしい。紅茶を淹れた意味はあったようで安心した。
もしかしたら……って思うけど、もし期待はずれだったらショックだろうし、十代が話したくなるまでは俺も黙っていたほうがいいよな。
なんて考えていた俺の耳に聞こえてきたのは、十代の腹の音だった。わかりやすい奴だ。
「DVDもいいけど、その前にメシが食いたいな。あ、食べながら見るか?」
十代の提案は、半分はいいけれどもう半分はいただけないものだった。
「食事しながらテレビなんて、行儀が悪いだろ」
でも、俺にとってはごく当たり前に教えられてきたことだったのに、
「え、そうなのか?」
十代はとても意外そうに、首をかしげる。
――昨日、広いベッドの端で誰かのスペースを空けながら眠っていた。それが無意識に癖になっているのなら、もしかしらた十代は……。
夕食をひとり、テレビを見ながら食べている十代の姿を想像して、とても寂しくなる。本当にあった光景かなんて決まったわけじゃないのに、胸が痛くなった。
「じゃあ、夕飯を食べてからDVD見ようぜ。何頼もうか」
だったら、今日の夕飯はとびきり楽しい話をしながら食べようなんて考えながらメニューを渡す。ただ、渡してしまってから「やばい」と思った。サービスで頼もうと一度開いたメニューは、俺にはどんなものか想像つかないものばかりだったのだ。……日本の学校で、フランス語のメニューなんて必要なのか? 読めても意味がわからない言葉の羅列は、既にメニューの役割を果たしていない気がする。
結局、十代が唯一読めて、俺も中身がよくわかるオムライスプレートを二人分注文したのだった。
楽しい話を、なんて思っていたのに、ルビーがハネクリボーとケンカしてくれたおかげでそれどころじゃなかった。十代のヒーローたちが止めてくれたおかげでおさまっているけれど、もうちょっと仲良く出来ればいいのに。
十代に甘いカフェオレを渡しながら様子を窺えばいつもどおりの何事も楽しく感じながら生きてるっぽい十代だった。……テレビを見なくてもいい夕飯が楽しい、って思ってもらえたらそれでいいんだけどな。
自分のぶんのコーヒーをテーブルに置いて、DVDをセットしてリモコンを手にとった。
「じゃあ、DVDみようぜ」
十代の隣に座りながら再生ボタンを押すと、十代の顔が輝く。
「おう!」
トーナメントの概要を思い出しながら、序盤の動向を見守る。
まず、先攻側は最初からいきなり儀式召喚。最初のカードの組み合わせすごすぎだろ。それからカードを2枚伏せて終了。さすがに通常召喚はなかったか。それにしてもあのカードは一体なんだろうか。
次のターンは…………やっぱり守備表示にするしかないよな。カードを3枚伏せてターンを終わらせた。次は、また先攻側。やはり相手の守備表示モンスターを破壊しにかかった。ん、伏せていたカードは貫通ダメージを与えるカードか!?
「これはまずいだ……おおおお!」
「おおおおおおお!! すげえ、ダメージをしのぎきった!」
後攻側のモンスターは防御をしても儀式召喚されたモンスターの攻撃力の前では破壊されるしかない。でも、装備カードをうまく利用して貫通ダメージをゼロにする戦略をとったようだ。そのうえ、罠カードを発動して相手への反撃も忘れない。先攻側だってそこで終わりじゃない。
俺が感心しているところで、十代も「すっげえ!」と画面に釘付けになっている。
「この状態で反撃できるなんて、やっぱりプロはすごいな!」
あの伏せカードはこの罠回避のためだった、としか思えないほど鮮やかだ。モンスターの破壊を阻止してフェイズを終了させてしまった。
2ターンでこれだけの展開が繰り広げられるなんて思わなかったから、俺も十代も画面に釘付けになってしまっている。
ブルー寮の大きなテレビに映し出されるデュエルは、まるで会場の巨大モニターを思わせる。本当はナマで見たいんだけど、席が離れすぎていると結局モニターでしか見られないんだよな。でも、今はそのときと同じ臨場感を味わえている。俺たちも、あのとき、あの会場で、このデュエルを見ていたかのように思える。
そこまで考えて、そんなことはありえなかったことに気づいた。
このトーナメントは俺がアカデミアに入る半年以上前に開催されたものだ。十代がアカデミアを受験する頃かその前くらいだろう。つまり、俺たちは出会ってすらいない。
なんだか、ずっと昔から親友みたいだなんて思っていて、気がついたらキスをしたいほど好きになっていたのに、実際はほんの数ヶ月間の出来事だなんて、我ながら信じられない。人を好きになることに、時間なんて関係ないって誰かが言ってたのを思い出す。
もしも、時間が関係あるとするならば、俺は最初から十代が好きになっていたんだろうって思うんだ。
デュエルアカデミア本校随一のデュエリストって聞かされていたからどんな奴なんだろう、どんなデュエルをするんだろう、会えたら絶対デュエルするんだって思っていたら、ルビーが見つけだしてくれた。噂どおり俺と同じで精霊をみることができて、精霊を『相棒』と呼んで、新入生と間違われたのは置いておくにしても手を差し出されて。
握手した手に、デュエリストとしての強さを感じた。俺より小さな手なのに、この手がカードを引くときどれだけ大きな力を見せるんだろうって気になるほど。
だから実際デュエルをすることができて、たくさんのヒーローたちを……自分のデッキをまるで次に何がくるかわかっているくらいに使いこなしている姿に高揚した。俺のデッキが完成したら、一番にデュエルしたい相手が十代になった。俺の、誰にも言ったことのない『夢』を、彼にだったら話してもいいって思えた。
留学期間は半年。
俺は、十代とは半年経ったら『はい、さようなら』なんてことになるのは嫌だ。たとえば俺たちが互いにデュエルに携わる道を選んで、何年か後に再会して学生時代の思い出話をする、なんて『過去』のことにされるのも嫌だ。
思い出話をするなら、そのときにも強いつながりを持っていたい。思い出話をしたあとに、今の話も一緒にしたい。
ふと、十代の横顔を盗み見れば、既に終盤にさしかかったデュエルをじっと真剣に見入っていた。授業中のお面つけて居眠りしている姿が嘘のようだ。
たしかにすごいデュエルだけど、俺は十代だってこれくらいすごいデュエリストなんだってことを知っている。テレビの向こう側の過去のトーナメント会場のプロデュエリストたちより、今、この場の、俺の目の前にいる十代とだったら、俺はもっとすごいデュエルが出来る、そんな気がする。
俺は、デュエリストとしての十代も、親友としての十代も、無自覚に無意識に無神経で、でもどこか寂しそうな十代も、どんな十代も好きなんだ。
「はぁ、すごかった……!」
「ああ、もう俺、途中から興奮しちまって、DVDだって忘れてたぜ」
テレビがタイトル画面になってしばらくしてから、俺たちはため息をつきながら感想を語り合った。
俺と同じところを注目していたかと思えば、十代もいろんなところを見ている。俺が気づかなかったことにも気づかせてくれるし、俺が気づいて十代が気づかなかったところを教えれば「そうか!」なんて反応が返ってきて、自分たちのデュエルじゃないのに楽しいんだ。
だから、いつものように時間を忘れてしまっていた。
「うわ、もうこんな時間だ」
壁にかかっている時計を見ると、もうすぐ日付が変わる時間だ。こりゃ、今日も十代は泊まりだな。
朝に見た幸せな夢と起きた後の寂しさを思い出しながら、俺はどうしようかと考える。
十代の寝相よりも、俺の自制よりも、あんな寂しそうな顔をまたさせてしまうのは辛い。
「ヨハン、悪いんだけどさ」
案の定、今日も泊めて欲しい(昨日泊まりになったのは不可抗力だったんだけど)と言う十代に、俺は、
「いいぜ、泊まってけよ」
「ああやっぱりいい……」
普段どおりにOKを出して、重なった十代の言葉に固まった。
「いや、俺今日は帰るから」
聞き違いだと思っていた言葉は、次に出てきた言葉で聞き間違いじゃなかったことがわかる。
……何で? いつもだったら、それこそどっちかが寝落ちするまで話すくらいすごいデュエルだったのに。それに、俺にはまだ話したいことだってあるのに。
「何でだ? こんなに遅いんじゃ危ないだろ」
言葉に自然と落胆の色が混じる。これが昼間で、十代に用事があるっていうなら諦めもするけど、今日の様子からいってなんだか避けようとしているみたいだ。
俺、何かしたか? 放課後の件を思い出してはみたけれど、十代は朝から様子がおかしかったんだから、そればかりが原因ではないと思う。
でも、今はそれ以上に、話したいんだ。
「それに、まだ話し足りないんだよ。
俺、お前とだったらあんなすげえデュエルが出来そうだって思ってるんだから、どうすればあんなのが出来るのか一緒に考えようぜ!」
落胆を吹き飛ばすように笑顔で言ったとたん、十代はぽかんと呆けた顔をした。俺、変なこと言ったか? 首をかしげようとして、十代の変化に気づいてぎょっとする。
「十代!?」
「え」
十代は気づいていない。この表情は、昨日の……――。
あー、もう俺、どうすりゃいいんだよ。
思わず唸りながらどうしたものかを考えて、結局、俺ができることなんてこれくらいしかないって。
「何泣きそうなツラしてるんだよ」
俺より細い肩を引き寄せて、震えるまぶたに唇を寄せた。
どうか。あんな顔をしなくてもいいように。
「泣くなよ」
俺が今まで十代にしたキスの中では一番優しいものになったんじゃないかって思う。……きっと、家族への親愛や友人への挨拶にしてきたものを入れても、一番だ。
肩を解放して、改めて十代の顔を覗き込もうとしたとたん、いきなり胸倉をつかまれた。
十代の顔が赤くて、何より怒っている。なんで怒ってるんだ……?
十代は、やっぱり今にも泣きそうな顔のまま、俺に言葉を投げかけてきた。
「何でそうやって俺にキスしてくるんだよ!? ヨハンの考えてることがわかんねぇよ!」
やっとで、俺は十代の様子がおかしかった理由に確信が持てた。
十代にどんな変化があったのかはまだわからないままだけれど、今しかないと思った。
今まで、どれだけキスをしてきても伝わらなかったのに、いろいろと勘違いもされたのに、辛い思いもしてきたのに。でも、今の十代だって、俺と同じ『辛さ』を味わっているってことなのかもしれない。それだけで、俺は嬉しいと思ってしまった。
だって、俺じゃなきゃ、その辛さを癒すことはできないんだから。
胸倉を掴んでいる十代の手を両手で離して、そのまま再び引き寄せる。
近づいた茶色の髪に隠れた耳元に、今までの思いをありったけこめて、告げた。
「そんなの、十代が好きだからに決まってるだろ!」
長くなるとは思ったけれど、想像以上に長くなってしまった…!
でもやっとでここまできたよ…!(4.5)
そして一部デュエルのシーンを修正しました。まだ矛盾がある気がする…。
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