振り向きざま
胸倉掴んでいた手ごと抱きしめられて、心臓が飛び出しそうなくらいに驚いた。
ヨハンの腕がこんなに強いのかとか(俺とそう変わらないと思ってたんだけど!)、口から心臓が出てきそうなくらいバクバク言ってるのとか、とにかく混乱していた俺の耳に入り込んできた言葉は、最初、なんのことだか理解できなかった。
「……は?」
ぽかーんと、きっとものすごくアホな顔をしているという自覚はある。心臓のバクバクも、一瞬でおさまった。何で、俺の質問にそんな答えが返ってくるんだ? 次のセリフも、俺が言わないといけないのか?
俺のアホ面に、ヨハンの顔もだんだん崩れてきた……ような気がする。
「……十代、俺が言った意味わかってるのか?」
ヨハンの口元が、とてもひきつっている。
ヨハンが、言った意味……?
『そんなの、十代が好きだからに決まってるだろ!』
俺が、好き?
……俺もヨハンのこと、好きだけどな。
なんで、それでヨハンが俺にキスをするんだよ。
いくら親友だからって、キスはしないだろ。
だから、
「いや、全然。好きだからって、キスはどうかと思うぞ」
本当に、ヨハンの言っている意味がわからないぞ? と眉をしかめる。
俺の言葉に、ヨハンはぴたっと固まって、
「……はぁ」
溜息をつかれてしまった。
なんだよ、まるで俺がどうしようもない鈍感みたいな態度とってさ。
「あのな、十代。普通、好きだからキスをするんだぞ?」
まるで子供に言い聞かせるような言い方までしてきてさ。俺は子供じゃないっての。
呆れるヨハンの背後で、アメジスト・キャットが『やっぱり…』と言わんばかりに溜息ついてる。よく見れば、宝玉獣たちだけじゃない。ハネクリボーや俺のヒーローたちまでこちらの動向を見守っていた。なんだよ、いったい。
俺の視線が自分の背後に向いていると気づいたヨハンがふっと後ろを振り返ると、みんな優しい顔をしながら消えていった。どうしたんだろう。
俺に向き直ったヨハンも、すごく優しい顔をしていた。
「俺は、十代が好きなんだ」
さっきと、同じ言葉を繰り返し言われて、それはわかったからと返そうとして。
(あれ?)
俺は、自分の記憶をたぐる。
『じゃあ、俺のこと好きか?』
って、ヨハンは何度か俺に聞いたことはある。でも、それだけだ。
「ヨハン、俺を『好き』って今まで一度も言ったことないのに、なんでだよ」
アメジスト・キャットから聞いたのが、初めてだった気がする。
一緒にいるのが当たり前なくらい『好き』なのは、俺だって一緒だから、何で俺ばっかり言ってるんだろうって、ちょっとは変に思わなくちゃならなかったのか?
「本当に『好き』だって気づいたら、簡単に言えないだろ」
ヨハンがぷい、と小さく顔を背ける。さっきまで俺を子供扱いしてたのに、今度はヨハンのほうが子供みたいだ。
「俺は十代と一緒にいたいから、いえなかったんだ。気持ち悪がられてもう近くにいられなくなるのも嫌だったし、だったら『親友』でもいいって思ったこともあったけど、やっぱり『親友』よりずっと十代が好きなんだよ」
ただの友達に、こんなキスしないぞ。
俺の肩にある手に力がこめられる。
近づいてきた顔に、俺は抵抗する間もなかった。唇に触れた一瞬の熱さに、顔に熱が一気に集まる。それと同時に、胸が苦しくなって、心臓がまたバクバク言い出して、どうにかなりそうになる。
「な……で、くるしいんだろう」
唇から勝手に出てきた言葉。ヨハンが聞きとめたのか、俺の背中に手を回して優しく背を撫でられた。
「ヨハンにキスされると、すっげえ苦しいんだ」
それなのに。
背中を撫でられると、ものすごく安心する。まるで、魔法使いみたいだ。
「それは、俺が嫌いだから苦しいのか?」
問いかける声も優しい。俺は首を振る。
「そんなわけないだろ。俺はヨハンを普通に好きだけど……でも」
キスをしたいか、と言われたらそれは違うと思う。だって、
「キスって、本当に大切な相手にだけするもんだって……」
ほんの雑談のついでに言われたことだったのに、どうして今思い出すんだよ。
「誰に言われた?」
「トメさん」
一年の頃、ノース校との交流デュエルの賞品がトメさんの校長へのキスだと知ったとき、『本当はキスってのは、賞品なんてモノじゃなくて一番大切な相手にだけするもんなんだけどねぇ』ってトメさんは笑っていた。
そのときの俺には全然よくわかんなかったし興味もなかったからすっかり忘れていたんだ。
でも、今思い出したってことは、これってすごく大事なことなのかもしれない。でも、どう大事なのかが俺にはよくわからない。
「俺にとって、十代はその『一番大切な相手』ってことなんだけどな」
背中を撫でてくる手がひときわ優しくなる。
それから、ヨハンは小さく「ごめん」って謝ってきた。
「なんだよ。何が『ごめん』なんだよ?」
ぐっと胸がしめつけられるように痛む。何かを言われるのがとても怖い。今の俺が怖れるものなんて何もないはずなのに。
「今まで好きだって言わなくて、ごめん。やっぱり、いきなりだとビックリするよなぁっ!」
たはは、と笑うヨハンだけど、いくら俺だってそれが空笑いだってことはわかった。
なんだか、俺が俯いているせいでヨハンの顔は見えないけど、どんだけ悲しそうな顔してるんだろうって思ったら、ますます胸が痛む。
顔をあげて何か言おうと思ったのに、ヨハンの腕があっさりと俺を解放して、俺が見たときにはもうヨハンの顔はいつもの笑顔だった。
「とにかく、今日は泊まっていけよ。こんな夜中に迷子になられちゃ俺も大変だしな」
「……迷子って、俺はヨハンじゃないぞ!」
気がつけばどこかで迷ってるヨハンに、そんなことを言われるすじあいはない。……俺もあんまり方向感覚はよくないけどさ。
思わず返した俺に、ヨハンは「なんだよ失礼な奴だな!」なんて笑って、立ち上がった。って、俺、帰るつもりだったのに何泊まる気でいるんだよ!
「今、毛布持って来るから」
そのまま、くるりと向き直って続きの寝室へと向かっていく。
「あ……」
やっぱり帰ろうと思って、声をかけようと言葉を発しようとしたのに、そのとたん胸がぎゅううっと締め付けられた。
なんでこんなに苦しいんだろう。普通に『好き』なだけで、キスをしたいとか、そんなわけじゃないはずなのに。
『嫌ではないの?』
驚いたようなアメジスト・キャットの問いを思い出す。
もしも、ヨハンじゃない誰かが、俺に突然キスしてきたとか考える。――そりゃ、嫌だ。
でも、ヨハンには、そんなふうには思わなかった。挨拶だって思っていたのもあるけど、食われそうになるからちょっと……っていうのもあるけど、なんていうか。
嫌、というわけじゃないんだ。
もしかしたら、普通の『好き』の中に『一番大切な相手』が紛れ込んでいるのかもしれない。
『一番大切な相手』だから、悲しんだりしているのを見てるのは辛いんだ。
ヨハンにとっての俺は『一番大切な相手』だから、挨拶じゃないキスも嫌じゃなかったんだ。
俺にとっての、ヨハンって……?
それを確かめる方法なんて、何も思いつかなかった。
だから、ヨハンを真似ることにした。
「ヨハン」
いつもいつも呼んでる名前を、こんなドキドキしながら言うなんて思わなかったけれど。名前を呼びながら、立ち上がる。
「ん、どうしたんだよ、十代」
突然呼び止められて、ヨハンは不思議そうな顔をしながら振り向いてきたから。
……なんだよ、俺とそんなに背が変わらないと思ってたのに、ほんのちょっとだけ背伸びをしないと、届かないなんて、ないだろ。
そんなことを考えながら、俺の名前を言い終えたばかりのヨハンの唇に、自分の唇を合わせてみた。
頬よりもずっと薄い、でも熱い。それが、ヨハンのものなのか赤くなっていく俺のものなのかさえわからない。頭がぐらぐらして何も考えられなくなりそうで。
でも、ちゃんと俺も考えなくちゃならない。
キスをされて苦しくなるのは、好きだといわれて心臓がバクバクするのは、悲しそうな顔を見ると胸がとても痛いのは。
「……俺も、ヨハンが『一番大切な相手』なんだ」
初めてキスされたときに見たキレイな翡翠色の目がこれ以上ないってくらいに開いてるな、なんて観察してしまいながら、俺は自分の出した答えを口に出した。
「十代っ、お前は、本当にもうなんなんだよ……っ!」
我に返ったヨハンに骨が折れるってくらいぎゅうぎゅうに抱きしめられてとても痛かったけど、ヨハンから返って来たキスはさっきと同じくらい熱くて、不思議と苦しくなかった。
とても、あったかかった。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
もうそれくらいしか後書きが思いつかない…!(4.11)
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