すくいあげる
人のいなくなった食堂の中央に、小さな鍋がひとつ置かれている。
「うわ、もう誰もいないじゃないか!」
「夕飯残ってないんじゃないか?」
がらがらと建てつけの悪い戸を開いて食堂に入ってきたのは、アカデミアきってのデュエルバカ二人だった。一方はこのレッド寮の生徒ではないのだが、すっかり入り浸っているため夕食もさりげなく用意されている。
入り口脇のスイッチを入れると、きれかけた蛍光灯がぼんやりと点く。人が先ほどまではいたらしく室内は外に直結する場所だがほのかに暖かい。改めて火を入れなおして、食堂を暖めようと十代がストーブに近づいていくと、その脇にあるモノに気がついた。
「うわ……でっかい鍋だなぁ」
いったい何人分の料理が出来るのか。ちゃんこ鍋を作れるほどの大きさの土鍋が置かれている。中に何か入っているらしい。
その何かはもぞもぞと動いて、ちいさくひと鳴きした。
「ファラオか……?」
このレッド寮の寮長の座におさまっている主のネコは、今日の寝床をこの土鍋の中とさだめたようだった。
「十代、鍋が置いてあるぞ」
なんだろう、とヨハンが鍋のふたをひらいて、首をかしげた。
「なんだろう、コレ」
「どれどれ……? おお、おでん鍋じゃないか!」
鍋の中身を見て目を輝かせる十代に、ヨハンは不思議そうな顔をした。
「……おでん?」
「ああ。ゆでたまごとか大根とかいろいろ煮込んでるんだよ。すんげーうまいんだ! これは年に一度あるかないかのご馳走だぜ!」
説明もそこそこに十代は嬉々として電熱器のスイッチを入れる。
容器に入れられラップがかけられていた二人分のごはんをレンジにかけている間、珍しそうにガラス蓋の向こう側を覗いているヨハンに、十代はいろいろと教えた。
「あれがつみれ。魚のすり身を団子にしてるんだ。で、あっちが餅巾着かな」
「モチキンチャク?」
「あの中に餅が入ってるんだよ」
「へぇ、おもしろいな!」
ぐつぐつと煮えていくおでんに、自然と顔が綻んでいく。
「明日トメさんにお礼言わなくちゃな! わざわざ俺たちのためにおでんを残してくれてるなんてさ」
「ああ! ……そろそろいいんじゃないか?」
「おうっ」
火傷しないようにふきんで取っ手を掴んで蓋を開けると、ほのかに暖まった部屋にひろがる湯気。
土鍋の中で丸まっていたファラオが鼻をならし、小さく鳴いた。
「おおお!!」
「うっまそー!」
ご飯一杯ずつと小さな鍋ひとつのおでん。それだけの夕食でもかまわない。
「よし、じゃあ俺がとってやるよ」
「ああ、頼むぜ十代」
「任せておけ! 金魚すくいは得意だ」
おたまを持って具を取り出すべく腕まくりをした十代に、ヨハンは再び小さく首をかしげた。
……金魚すくいって、何だ?
あつあつのおでん具をほおばると、うまみが具から染み出してくる。
「おいしいな!」
「だろだろー!」
おでん具はどれも美味しかった。おそらく手作りだろうつくねやつみれも、ドローパンの具にはなれなかっただろう黄金じゃないタマゴでできたゆで卵も、大根も白滝も厚揚げもちくわも、なにもかもが程よく味がしみついていて、とても温かみのある味だった。
「トメさんのごはんって本当に美味しいんだな。おふくろの味ってやつだろうな」
餅巾着の中身の餅が伸びるのがおもしろいとかじりついたヨハンは、十代が何も言わないことに気がつく。
「どうしたんだ、十代?」
「え? ああ」
口と箸の間を餅がのびきったまま問いかけてきたヨハンへの反応が一瞬遅れる。
「なんかさ、こうやってごはん食べるのっていいなぁって思っただけ」
たはは、と苦笑する十代の表情がいつになく読めない。ヨハンはようやく伸びきった餅を飲み込みながら十代の様子を伺う。
先ほどまでおでんをうまそうだと楽しそうに話していたのに、なんでそんな顔をするんだろう。
美味しいのに、泣きそうだなんて。
「十代」
「なんだ?」
餅巾着を完食したヨハンが十代に向き合う。
「今度はさ、トメさんに別の鍋をリクエストしたいな」
今度は自分で『金魚すくい』のようにおでん具を取り分けながら、ヨハンはこれぞ、とばかりに提案した。
「えー、おでんおいしくないのか?」
こんなにうまいのに、と憮然とする十代だったが、次のヨハンのセリフに息を呑んだ。
「こうやって一つの鍋を囲んでって珍しいからさ。どうせならもっといろんな鍋を十代と食べたいなぁって思ったんだよ。すごく楽しいじゃないか。鍋って」
オベリスクブルーじゃ、縁がなさそうだしなぁ。
楽しそうに笑うヨハンに、十代は固まったままだったが。
「……そうだな! こうやって鍋食べるのって楽しいよな」
忘れていたものを取り戻したような笑顔を浮かべた。
「お、まだあった!」
鍋の底に残っていたつみれをすくいながら十代が歓声をあげる。鍋に限らず、皿のすみずみ死角などないところまで探ってしまうのがレッド寮の生徒のかなしい性だ。
「ヨハン、はんぶんこしようぜ!」
「いいのか?」
「ああ、ふたりじゃなきゃはんぶんこできないもんなー」
ああやっぱり。
時折、十代は無意識に無防備に孤独に沈みそうになるから。
そんな十代をそばにいてすくいあげたいとヨハンは思う。
最後にサルベージしたつみれを分け合う。空になった鍋はどこかあたたかさを残したまま、二人の間にあった。
ファラオがねこ鍋やってるのは仕様です(2.7)
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