Renunciation
ここは、とても居心地がいい。
少し腕を伸ばせば何でも掴むことができて、間借りしている机には俺の私物がすこしずつ増えていくけど、本来の部屋の住人は何も言ってこない。
何より、この部屋の住人が隣にいたり、向かい合ってデュエルしたりするのがたまらなく楽しかった。
だから、気づかないふりをしてきた。
ふざけて顔を近づけるとき、まるで宝玉のような瑕(きず)のない、決して閉じられることのない瞳が揺れる意味も、その瞳を見ているとどうすることもできなくなって「ふざけた」ふりをしてしまうことも、だんだん、ふざけたふりをするのもつらくなって相当の気力を要していることも。
今を壊したくなくて、俺たちは最後の抵抗を続けている。
でも、もし。
どちらかが今を壊すような行動を起こしたら、そこから何か新しいものが始まる気がする。
それが、今を壊してまで手に入れる価値のあるものなのかどうかは、俺にはわからなかったけれど。
こつん。
レッド寮の一室の窓に小さな石をぶつける。傷がつかないようにしているけど、そろそろこれとは違う方法も考えたいところだ。
中からハネクリボーがふわりと飛び出てきて、すぐに戻っていく。どうやら十代はちゃんと部屋にいるようだ。ま、こんな時間に出歩くなんて危ないよなーとも思うけど。……俺も人のこと言えないけど、やっとでレポートが全部終わったんだから気持ちが焦っていたんだ。
音を立てないように階段を昇って、どうせ鍵はかかっていないドアを開ける。
「十代、入るぞ」
部屋は、多分俺を待っていてくれたのだろう(ものすごい嬉しいぜ!)、電気が点きっぱなしで、机の上には湯飲みとマグカップが置かれている。でも、肝心の十代は、顔が見えなかった。正確には、脚しか見えていなかった。
「おーい、じゅうだーい?」
三段ベッドの一番下――十代のベッドだ――を覗き込むと、ベッドに腰を下ろしていた状態から眠ってしまっただろう十代が中途半端な体勢でベッドに沈んでいた。
ベッドの脇でハネクリボーが申し訳なさそうな顔をしていたから、「大丈夫だ」と手を挙げると、ハネクリボーはすぅっと姿を消していった。
「さて、と」
十代に倣ってベッドに腰掛ける。ぎし、と二人分の重みがつらそうな音が鳴ったけれど、十代はその音にも俺の気配にも目覚めることはなかった。
でも、さほど深い眠りというわけでもないらしい。熟睡してるときはたいていいびきをかいて布団蹴飛ばしてベッドから落ちているから、今のただ静かに呼吸しているだけの眠りは何かのきっかけがあればすぐに目覚めそうだ。
小さく開いた唇から呼吸の流れをかすかに感じる。そして、薄い胸が規則正しく上下して、どうしてかものすごく安心した。
「……いつまで、こんなこと続けんのかな、俺たち」
安心ついでに、無意識に言葉が漏れる。
俺は、十代が好きだ。
多分十代も、俺を好きなんだろう。申し合わせたわけでもないのに目を閉じないのは、きっとお互い無意識にわかっているからだ。
でも、どちらが本心を告げて、そこからどうなるのだろう。
今までみたいにバカみたいにデュエルやったり、朝までデュエルの話をしたり、きっとそれだけでは居られなくなる。
いや、それ以上に、十代が俺をどれくらい好きか……俺の望むところまで行き着ける「好き」なのかがわからないから、余計に行動に起こせないんだ。
瞳が閉じられない限り、俺はどうしたらいいのかわからない。
「おい、十代」
このままにしておくのも風邪をひきかねないし、何よりせっかく遊びに来たのに暇なのは嫌だと十代を起こそうとして、今更ながら気がついた。
決してそらされることも閉じられることもなかった瞳が、今は閉じている。
視線をそらすと、今度は薄く開いた唇が目に入ってきた。
――今なら。
今なら、先に進めるのかもしれない。
ここから先にあるものが何だとしても、行動を起こした俺が全部責任を負う。今までのことすべてが壊れてしまっても、新しい何かが始まるとしても、もう、これ以上は抵抗を続けていられない。
「俺はもう、限界なんだよ」
十代。
名前は口には出せなかった。
座ったまま身を屈めて、身体を支えるように十代の耳元近くに腕をついた。そんな顔近くの変化にさえ、十代は気づかない。
いつも俺の瞳と混じり合う視線も今はなかったけれど、俺は完全に瞳を閉じることはなかった。
十代が目を覚まして、俺が瞳を閉じているのを見られるのがいやだった。顔も見られないまま拒絶されるのだけは、いやだった。
これ以上ないくらいに鼻先と鼻先がぶつかりそうになったから、顔を軽く傾けて十代の唇にかすかに触れてみる。
……うわ、なんだこれ。
人の皮膚で一番薄い場所が触れあう生々しさに、思わず身がこわばった。それでも、目を完全に閉じることはできなくて、十代の様子をうかがうと、さすがに異変を感じたのか、小さく呻こうとしていた。……呻きは俺に阻まれているから発することはできなかったからか、薄く瞳が開いて、間近にあった俺の瞳とかち合う。
十代の瞳を見ているとどうしたらいいのかわからなかったけど、唇を離すことだけはしたくなくて、頬を両手で包み込む。
何度も位置をずらしてキスをしているうちに、背中に誰かのぬくもりがふれた。
誰かの、じゃない。ここには俺と十代しかいないんだ。だから、これは十代の腕だ。
思わず、唇を離すと、薄く目を開いたままの十代が、ぽつりとつぶやいた。
「……ヨハン、もういいのか?」
そして、腕に力が込められて、近づいてきた唇が触れてくる。
「じゅうだい」
俺よりせっぱ詰まったキスをしてくる十代が、キスの合間にぽつりと漏らす。
「せっかく、抵抗してきたのに」
視線が絡み合っても、俺たちはキスをやめない。
「何のための、抵抗だったんだよ。……俺はもう」
十代の言葉が待てない。キスの合間に本音が漏れる。俺からのキスの後、
「俺だって、限界だったんだ」
十代の口角がわずかにあがって、そして、瞳が閉じられる。
お互いがどれだけ好きかとか、今まではどうなってしまうのかとか、これからどうなるのかとか、そんなことはどうでも良くなっていた。
ただ、今までの自分たちを壊してまで……最後の抵抗を放棄してまで……手に入れたものが俺たちを確かに変えたのだと、それだけは確信して。
俺もまた、瞳を閉じて十代の唇を貪った。
「最後の抵抗」のヨハン編というか抵抗放棄して寝込み襲っちゃった編でした。
リクエスト話を勝手に続けてすみません。書きたかったんです。(080831)
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