はじめての…



 通話とメールしか使わない2世代前の携帯電話。メールアドレスだって、知っているのは両手で足りるほどの人間だけだ。
 そんな俺の携帯電話にメールが入り込んでいたことに気づいたのは、『仕事』先から戻ってくる途中でだった。何しろ森の湖の妖精……実は森の主のホーリーエルフだ……に届けるものがあったのだけれど、森の奥深くでは、携帯の電波が届かない。俺が電波の届くところに来て、ようやくメールが受信されてきたのだ。

『仕事が終わったら、噴水前に来てくれ。待ってるから』

 たったこれだけの文面。俺がいつ戻ってくるかもわからないのに……そもそも、噴水前ってどこだよ。
 仕方なく、返信の文面を考える。

『噴水前ってどこだ』

 送信先のアドレスを確認して、送信する。
 メールの履歴にはほとんど同じアドレスがずらりと並んでいて、過去をたどれば、『夕飯はなにがいいか』『今日は遅くなるかも』『悪い、迷った』とか、そんな文面ばかりだ。
 ……あいつらしいといえば、あいつらしいか。
 ふっと苦笑すると、手の中の携帯がブルブルと震えた。

『中央公園の噴水。腹が減ったんだから早く来いよな』

「まったく、なんだよ……」
 今日は仕事だって言ったのに。俺は苦笑を溜息にかえて、携帯電話をポケットにしまいこんだ。


 中央公園の噴水広場。
 もう夕刻を告げる鐘は鳴り響いたあとで、子供の姿は見当たらない。
 噴水の前で佇んでいる人影は、いまだ明るく夜の帳がしばらく降りそうにないなかで、どこか寂しげに見えた。
「おーい、十代!」
 俺の姿を見つけるやいなやブンブンと手を振ってくるヨハンに、俺は小さく手を挙げて応える。
「なんだよヨハン、別に待ってなくてもいいんだぜ」
 むしろ、今日の食事当番はヨハンなんだから家でメシを作ってろよ、と思わなくもない。
「いいんだよ。待っていたかったんだからさ」
 ごく自然に肩に腕を回される。その腕を掴んで、ゆっくりと歩き出した。
 見た目は、長い白夜の夜を遊び歩く子供に見えるからか、道行く人々は気にも留めない。
「ヨハン、なんか変じゃないか?」
「なにが?」
 悪ガキが悪だくみをしながら歩いているようにも見えるかもしれない、なんて考えながら問いかける。
 まるで酔っ払いのように上機嫌に俺の肩を占領しているヨハンは、俺の問の意味をはかりかねているようだ。……俺だって、ヨハンの意図をはかりかねている。

 今日のヨハンは、朝は特に何の変化も見られなかった。
 俺と違ってこの国の言葉に堪能なヨハンはすぐに仕事を見つけて、俺の『仕事』を手伝ってくれながらもちゃんと働いてる。今日もごく普通に仕事に出かけていったのだ。
 俺といえば、子供相手にデュエルを教えたり(もちろんお金をとったりはしない)、簡単な荷物運びをしたり(これは『仕事』とは違う……言うなればアルバイトだ)、人に限らず物や言葉を伝える『仕事』をしたり……とかなり不規則だ。あ、子供からは簡単な言葉を覚えさせてもらってるし、そのおかげで荷物運びもできてるから、ここにいるうちは辞めるつもりはないけど。
 ある程度自由な俺とちがって、ヨハンは規則的に仕事に行って、帰ってくる。食事当番はデュエルで決めていて、今週はヨハンの番だった。普段ならすぐに料理にとりかかっているだろうに、今日に限って、そんなそぶりはない。

「……十代」
 ヨハンの足がぴたりと、ある店の前で止まった。
「なんだよ?」
 ごくごくふつうのレストラン、っていった風情の門構え。その店の前でヨハンは俺の肩を解放して、くるりと向き直って、

「俺とデートしようぜ」

 と、デュエルで勝ったときと同じくらいの笑顔を浮かべてきた。


 デート、と言われても、どんなもんだろうと思う。
 考えてみれば、出逢って別れて……ってのは何度か繰り返したけど、そういったものはしたことがない。アカデミアにいた頃なんてますます縁がなかった。いつだったか、万丈目が明日香とデートしたい、とデートコースを披露していたけど、あれって、別にいつもと変わらなかったよな。
 たとえば、一緒に買い物なんてよく行ってるし、一緒にごはんだって昨日も食べたし、デュエルはいつだってやってるし、何にも真新しいことなんてないじゃないか。
 それ以上に、
「デートって、単にメシ作るのめんどくさいだけじゃないのか?」
 そんな気がする。
 俺の言葉に、ヨハンは心外だといわんばかりに肩をすくめた。
「あのな。俺を怠け者みたいに言うなって。楽するためだったら朝から言ってるよ」
 肩はすくめたものの、機嫌を悪くしたわけではないらしい。回されている腕が首にまでいきそうになったけれどそれは掴んでいた手で防御できたのは、たいした力を入れていないからだ。悔しいけど、腕力は完璧に俺が負けている。
「ここだぜ」
 そう告げられた先には、小さな看板が立っていた。ほかにも看板を置いている店はいくつかあるけど、ヨハンが指差した先の看板は、俺にも読むことが出来た。
「……日本語?」
 正直、外国語が苦手な俺(どうしても面倒事を話さないといけないときはユベルに代わってもらっている。英語はともかく、何でフランス語まで? ていうかなんでこいつバイリンガルなんだよ)にとっては、一番ありがたい言語のはずなのに、ここで見るとものすごく違和感を覚えるものだ。
「そ。俺もこの間見つけてさ!」
 まだ入ったことないけど、うまそうだろ?
 看板に書かれているメニューは、懐かしい鍋料理や魚料理の数々だ。俺の腹も小さく鳴って、懐かしいといわんばかりに自己主張していた。
「来るなら絶対十代とって決めてたんだぜ」
 そのまま、ヨハンに肩をぐいぐいつかまれて店の中に入れられる。
 あ、肩組んだままだった。いつもなら恥ずかしいからって引き剥がすんだけど……まあいっか。

 入った店は、内装こそ洋風だったけれど、ところどころに和風の装飾がなされていた。椅子に敷かれた座布団、レッド寮にあったのと同じ柄だ。
「十代、何頼む?」
 カウンター席には何組かの客がいて、どこか懐かしいBGMに耳を傾けながら日本茶をすすっている。
 テーブル席に向かい合って座った俺たちの元にも、日本茶が差し出された。冷えた緑茶は、何故かレモンのにおいがする。
「やっぱりおでんは外せないよな?」
「だよなー。俺、巻き寿司も食べたいんだ」
「お、いいなぁそれ!」
 何品か懐かしい料理を頼んで、俺たちも冷たい日本茶をすする。
「ここで日本食が食べられるとは思わなかったな」
「俺は十代に作ってもらうからいいけど、十代も誰かの作ったのを食べたかっただろ?」
 にこーっと楽しそうに笑うヨハン。
 それがあまりに幸せそうで、思わず、顔が赤くなる。
 こんなの、いつものことだっていうのに、なんで『デート』ってだけで顔が赤くなるんだよ!

 メニューを聞いてきたのは金髪色白のお姉さんで、料理を作っている人も色白の茶髪のおばさんだった。何でも、日本に留学していた頃に日本食の魅力に目覚めたらしい。
「まあまあ、日本の子なのね!」
 と握手を求められて、条件反射で握り返したらブンブン振られた。
 お通し、って煮物を出されたのを皮切りになつかしい魚のすり身の入ったおでんに、肉じゃが、すき焼き、巻き寿司と俺が面倒がって作らないあれこれが出てきて、味はちょっと洋風だけれどやっぱり懐かしかった。
「うまいな」
「ああ」
 久しぶりの箸を使った料理。ヨハンの箸使いも意外とうまいんだよな。
「なんだよ十代。人の手ばっかり見て」
 ずい、とテーブルの向こうから覗き込まれる。……行儀悪いぞ。
「……見とれてたんだよ、悪いか」
 でも、出てきたのは行儀の悪さを咎めるものじゃなくて、うっかり本心に近いものが。
 ……ものすごく恥ずかしいぞ。
「……十代、俺、すっげえ照れるんだけど」
「俺も照れてるんだよ」
 何で男二人で顔真っ赤にしてるんだよ、俺たち。

 店を出たころにはすっかり夜も更けていた。……といっても、この国の夏の日はとても長いから、9時を過ぎても外はまだまだ明るい。
「はー食った食った!」
「うん、うまかったな」
 ゆったりとアパートへと続く道を歩く。
 街灯がついて、外も明るいけれど、商店街を外れればさすがに時間が時間だから人通りは少ない。
「醤油さえあれば、すき焼きは作れそうだけど、さすがに輸入ものは高いんだよな」
 あれだけヨハンがおいしそうに食ってるのを見てると、作ってやればいいかもなぁと思うけど。
「いっそ、次は日本に住むか?」
「……そうだな。それもいいかもな」
 どこに行くか、そんな当てもない俺たちは気づけば一緒にいるけど。
 こうやって改めて『デート』なんていわれるとなんていうか。

「……俺たちってさ、『恋人』なのかな」
 普段は『家族』だっていつも言われて、そうなんだろうと思っていたけど、それより先になるものがあったんじゃないかって、思い出した。
「そうだろ。『家族』相手に舌入れるキスなんてしないだろ、普通」
 俺がぼんやりじんわり考えていることを、何でこいつはこう直接的に言うんだ。
 しかも、歩道の真ん中で。
「ヨハン、お前、少し慎みってものを持てよ。誰か聞いてたら――」

 説教は、まるで実践するかのような深いキスに遮られたのだった。


きっとDAじゃデートらしいデートもできないというか、むしろレッド寮でデュエルがデートだったんじゃね?
と思いつつ4期終了後妄想で初デートでした。
この後ヨハンは調子に乗ったとしばらく食事当番をさせられるんでしょう。
リクエストありがとうございました!(08.07.01)
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