最後の抵抗
「なんだか、全然アニキらしくないッス」
はぁ、というため息とともに翔がこんなことを言い出した。
何を言い出すんだ、とちょっと呆れそうになったけど、翔は自分が淹れると言ってきかなかたお茶を前に再び盛大にため息をつくのだ。
「なんだよ、いきなり?」
話題に出てきたヨハンは今はここにはいない。
何でも、留学生は定期的にレポートを書かないといけないらしい。そのへんの難しいところはよくわかんないけど、留学生ってのも大変なんだとやたらと力説していた。ついでに、そのレポートをためたままレッド寮でデュエルしていたって言うから、ヨハンも意外と宿題をためこむタイプなのかもしれない。
そんなヨハンの事情を知ってか知らずか、久しぶりにレッド寮の俺の部屋……元は翔の部屋でもあったんだけど……に入ってきた翔は、部屋の中を見て開口一番に言ったのだった。『なんだか、全然アニキらしくない』と。
「だって、これ、ヨハンの私物じゃないスか」
「ああ、そうだな」
翔が指さしたのは空色の縞が入ったマグカップだ。何でもここに来る途中停泊した港町で気に入って買ったらしい。
「それもヨハンのでしょ?」
「おう、そうだぜ」
次に指したのは、小さな置物だった。なんでも、アメジスト・キャットとルビーに似ていたから買ったと言っていた。フィギュアってやつらしい。
「あと、アレ!」
「あれはさすがにわかるよな……」
意外とデリケートだと自分で言うだけあって、ヨハンはいつのまにかここに自分の枕を持ち込んでいた。レッド寮の古いベッドには全然似合わないひらひらとしたフリルがついている枕だ。……最初見たとき爆笑したら投げられた。そのまま枕投げ大会になったのは秘密だ。
「ヨハンが来てから1ヶ月くらいッス。それだけでこんなに私物ばっかりって、絶対おかしいッス!」
「そうかぁ?」
ゆらりとかわそうと間の抜けた声を上げたら、翔は「わかってないッス!」とガミガミ言い出した。
「だってアニキ、ボクの荷物がアニキの机に広がるのイヤだって言ってたじゃないッスか!」
「そりゃ、おまえの荷物が多かったからだろ」
「ヨハンの宝玉獣フィギュアは良くて、何でボクのブラマジガールフィギュアがダメだって言うんスか!」
いつの間に通販したのか、翔の机の上にはアイドルカードの絵柄を模した人形が飾られるようになって、それが俺の机の上にまでのさばってきたのだ。……あれもフィギュアなのか。
「……それ以外にもいたじゃないか。ピケルとかクランとか」
「そ、それはそうだけど……っ!」
せめてアイドルカードをデッキに忍ばせるくらいにしておいてほしい。
「ってアニキ! 話をそらしちゃダメッス!」
ちぇ、せっかく話を切り上げるチャンスだったのに。
「こんなにヨハンのものがあふれてるのに全然何にも思わないなんて、アニキらしくないッス!」
……そうかな。
いつのまにか一人部屋になったこの部屋に自然と入り込んできたヨハンだけど、俺は不思議と嫌じゃなかった。
一緒にいて居心地の良い人っていうのがいるっていうのは聞いていたけど、俺にとってのそれはヨハンだって、なんとなくわかって。
だから、別に『俺らしくない』ってことはないと思うんだけど……――――。
「もしかして、アニキってヨハンのことす…………」
「翔」
翔が言いかけた言葉を、名前を呼ぶことで止める。
「別におかしくないだろ。どうせ、この部屋今は俺一人だしさ」
「でも、万丈目君だって」
「万丈目なら隣だ。正当にデュエルで勝ち取ったって言ってたぞ」
今度は、うまく話をそらせたみたいだ。
――当事者の俺が言えない言葉を、簡単に他人に言わせられるか。それが、心配してくれる弟分でも、だ。
日付が変わる頃になって、レッド寮の窓にこつん、と小さな音が鳴った。音と同時にハネクリボーがそわそわと窓に寄ってすぅっと窓の外に消えていく。すぐに戻ってきたのを確認してから、俺は玄関の鍵を開けた。
「あー終わった終わった」
どこか疲れた顔のヨハンが「よぉ」と手をあげる。
「おう、お疲れ。トメさんから差し入れ来てるぜ」
「マジか!? やったぁっ!」
俺の言葉に、ヨハンの顔がぱぁっと輝いた。
夜中にドアを叩くのは目立つからと、こんなまどろっこしい方法をとるようになって、それが気に入ってしまった。
ヨハンが小石を窓に小さくぶつけて、ハネクリボーが確認してからドアの鍵を開けてやる。まるで、合言葉のようだ。
昼間翔が淹れたお茶を、今度は俺がヨハンに淹れてやる。宝玉獣フィギュアのおいてある机の上には、『レポートでこもりっきり』のヨハンのためにトメさんが作ってくれたおにぎりをおいておいた。多分、ブルー寮の食事が合わないといってたヨハンのことだからメシ抜きだろうと思って用意してもらったんだけど、正解だったようだ。
「おお、うめえ!」
さっそくおにぎりにかぶりついたヨハンの横で、用意してもらうよう頼んだ礼と、勝手に唐揚げをひとつ拝借した。……返さないけど。
「おい、十代、俺の唐揚げ!」
「ケチケチすんなって」
俺の口を開けるように頬を持ち上げてくるヨハンに挑発的な視線を向けてやる。っていうか、痛い。
そのまま、ヨハンの顔がものすごく近づいて、くる。
ヨハンの翡翠の目がじぃっと俺を見るから、俺もそれを見返して。
知らず、拳を握りしめて。
――ヨハンの顔が近づくたびに、本当はものすごく胸がうるさくなっていくのは絶対に知られたくないんだ。
鼻先がくすぐったく触れるほどの距離まで近づいてやっと、
「まったく、行儀悪い口だよなぁ」
そんな言葉と同時に頬が痛みから解放されて、鼻先のくすぐったさがあっさりと離れる。
「悪かったな」
そのまま、何事もなかったように再びおにぎりにかじりつくヨハンを横目に、俺は翔じゃないけどため息をついた。
昼間、翔が俺に言おうとしていた言葉。
それは多分、本当なんだと思う。
ヨハンの顔が近づくたびに俺の胸がうるさいほどにドキドキするのは、きっとそうなんだろう。
それならヨハンだって、多分。
さっき、頬を掴んでた指先がかすかに震えていたから。
でも、どんなに顔を近づけても、俺たちは決して目を閉じない。
「あーうまかった。十代が食った唐揚げがあったらもっと良かったのに!」
「ああもう、わかったよ。明日の朝のおかずのだし巻き卵をやるから!」
「おっ、やった!」
いつもどおり、何の変哲のない会話をしながら、それでも俺の頭の中には渦巻いている。
目を閉じたら、その時点で今の俺たちのままではいられなくなる。
それをわかっているけど、やめられなくて、でも、わかっているから最後の最後、本当に最後の抵抗を俺たちはしているのだ。
――人を『好き』になるという衝動に、最後の抵抗を。
リクエスト企画その5「両思いでそれをお互いにわかっているのに、思いを伝えないヨハ十」でした。
一歩踏み出す前の最後の抵抗。踏み出して吉と出るか凶と出るかの瀬戸際っぽい雰囲気で。
リクエストありがとうございました!(080806)
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