春の風物詩
「十代、なんだってんだ?」
道端のコンビニの前で待たされながら、俺ははー、と小さく息をついた。
つい先日までは息が白く色づいて、とても寒かったけれど、今は……というかここはそうでもない。俺としては半そでで歩いてもいいくらいなんだけど、「見てるこっちまで寒くなるからやめろ!」と十代に叱られた。……何でだ?
で、その十代はコンビニに入っていったっきり出てくる気配がない。
まさか、このコンビニ、カードが使えないなんてことはないよな? 今のご時勢、駅だってカード一枚できっぷもそれ以外のものも買えるんだ。コンビニでカードを使えないってことはないだろう。
あちこち世界中を巡り歩いている俺たちは、あまりお金を持つことはない。カードでの買い物のほうが面倒が少ないのだ。お互い使い込むってこともないし、普段は日雇いの軽い仕事で貰ったお金で生活するから貯まる一方だけど。紙幣硬貨ひとつでトラブルは起こしたくないから、一つの国を出る前に手持ちのお金は全部銀行に預けてしまうから、結局新しい国に行くとしばらくはカード生活にはなる。
十代と一緒に旅を始めて、はじめてきた日本。その前には一度アカデミアに行ったこともあったけど、アレはさすがにカウントできないよな。海の真ん中だったし。あー、そういや童実野町だけには行ったっけ。アレもカウントしちゃダメだよな。誰もいなくなってたし。
すっかり夜も更けて、コンビニの明かりだけが煌々としている。周囲は住宅地らしく、家から明かりがもれだしていた。
きっと、昼間はにぎやかだったんだろうけれど。
「なんだか、こうしてると寂しいな」
『るび?』
肩に乗っかって伸びをしているルビーに話しかける。どうせ周囲には誰もいないんだから人の目を気にする必要はない。もとからそんなに気にしてもいないけどな。
「悪い、ヨハン。待たせたな!」
コンビニのドアが開いて、十代が出てくる。手にはビニール袋を持っていたところをみると、ちゃんとカードは使えたようだ。
「遅いぞ、十代」
「悪かったから、そのしゃがみこんでにらみつけてくるのはやめろって。……不良にみえるぞ」
遅いことを抗議しただけなのに、随分と失礼なことを言われてしまった。
待たせたお詫びに、と手渡された暖かいお茶のボトルを開けながら、行く当てもなく俺たちはのんびりと歩いた。
「なあ、今度は日本にするのか? 泊まるところとか住むところとかこのへんにするのか?」
そろそろ次の街に行こうとは思っていたけど、俺としてはちょっと南下しようかと思っていたのに、いきなり飛行機に乗せられて(しかも早期予約割引チケットかつ特典なしっていつから用意してたんだよ)日本についたのが数時間前だ。一応、半日かからずには来られるけど、何の説明もなしにいきなりはないだろう。
「いや、明日には帰るから。とりあえず今日は野宿で」
「は!?」
飛行機の準備はしてて泊まる場所はないってか!? そのうえ、明日には帰るって……。
「なぁ十代、どうしたんだよ。おまえらしくないぞ。中途半端に計画的だし、何にも話してくれないし」
いつもの十代なら、行き当たりばったりな計画を全部最初のうちにしゃべってしまうのだ。だから、俺としても軌道修正がしやすかったんだけど、今回は本当に突然『日本に行こうぜ』と飛行機に乗せられてきたのだ。……俺、キャンペーンの特典でもらえるムーミングッズがちょっとほしかったんだぜ。なんで特典がないコースなんだよ。
「しゃべったらおもしろくないだろ? 俺としてはヨハンを驚かせたいんだからさ」
よかった、いつもの十代だ。結局しゃべってる。
『クリクリ〜』
ハネクリボーもちょっと呆れているようだ。十代はやっとで自分の発言の意味するところに気づいたらしい。
「うわ、しゃべっちゃ意味がないってのに!」
「まぁまぁ、何で驚かせようとしてるのかはわからないけど、聞かないでいてやるからさ」
俺ってばいい奴。
だんだん冷え込んでくる外気に晒された身体をぬるいお茶で温めながら、向かうのは、どうやら山の上の公園らしい。ときおりぽつん、と街灯がさびしげに道を照らしている。
「もうちょっとだぜ」
飲みつくした自分の分のペットボトルを脇にあった自販機のゴミ箱に捨てながら、十代は楽しそうに目的地を指差した。
この自販機を過ぎたら、もう店はないらしい。舗装はされているけれど暗い坂道が続いている。
もう一本何か飲みたかったけれど、あいにく俺は小銭を持っていない。しかたなく、十代にならって飲みつくしたボトルをゴミ箱に入れた。
まぁ、目的地も近いようだしな。
『まったく、また僕をこんなことに……』
「そう言うなって、ユベル。こっちを行くのが近いんだからさ」
真っ暗な道をさらに進んだ場所。急な石段の前で立ち止まって、十代はなにかぶつぶつと言っている。正確には、ぶつぶつ言ってるのはユベルのほうで、十代はなんとか協力を願っている、というところだろうか。
『まぁ、こんな暗い道をあいつと行かせて君になにかあったらこまるから、力を貸してあげるよ』
おい、何気に酷いこと言ってないか!?
「ユベル!」
俺をけだものみたいに言うのはやめろ!
「まぁヨハン落ち着けって。……サンキュ、ユベル」
俺をなだめながら十代がユベルに礼を言うと、ユベルはすぅっと消えていった。奴の還る場所は十代の奥底だ。俺には決してたどり着けない場所。
「じゃ、こっち近道だから行こうぜ」
「ああ……?」
近道を知ってるってことは、十代はこのへんに住んでいたことがあるんだろうか。
尋ねようとしたけれど、十代の瞳の色が変化していることに驚いて何もたずねることができなかった。
転ばないように、と繋いだ手が、どちらのものかわからない震えを伝えてくる。あるいは、ユベルの牽制かもしれない。
石段を登るたびに明るくなっていく視界。十代の瞳が元の色に戻ったころには、足元の色が明るくなっていることに気がついた。
「なんだ、これ?」
石畳が、白い。
はらり、はらりと白いものが十代の肩に降ってきて、思わずつまんでしまった。
「花びら?」
「ああ。そうだぜ」
十代が天上を仰ぎ見る。俺もそれを真似て空を見上げて。
空の手前で、歓声をあげた。
「すげえ! これって、全部花びらなのか!?」
空を覆いつくす白い花。つまんだままのそれをみると、真っ白というわけではなく、薄くピンクづいている。
「ああ。日本の春の風物詩ってやつだ! こうやって桜を見るのを花見って言うんだぜ」
公園じゅうに植えられた桜の樹はどれも白くいろづいて、ときおりはらはらと花びらを散らしていく。
今もキレイだけど、昼間に見てもキレイだろうって思った。
「これなら、一晩中見てても飽きないぜ」
「だろー?」
今度は冷たいお茶を差し出される。誰もいない公園でくっついて桜を見上げるってのも、いいもんだなぁなんて思って、はたと俺は思い出した。
「十代って、この辺に住んでたことあるのか?」
「ん、何でだ?」
十代の顔色が僅かに変わったのを、見逃したりはしない。
「近道とか知ってたし、ここってものすごく穴場っぽいし」
以前、何をやっているかわからなかったけれどテレビで見た光景。桜の樹の下に青いシートがたくさん敷かれて、たくさんの人たちがバカ騒ぎをしていた。……あれ、花見だったのか……?
ここには俺たち以外誰もいない。きっと、近所の人しか知らないような場所なのだろう。
「まぁな。昔住んでたことがあったから」
「へぇ。十代が育った街かぁ」
そう考えると、さっきまで感じていた『知らない街』のレッテルが剥がれていきそうだ。
戻ってこられて嬉しいのだろうか、と思ったけれど、十代の顔は晴れないままだった。
「やっぱり、二人で見たほうがいいよな」
そんなつぶやきをもらして、立ち上がって、ただ桜を見上げる。
大人になって、ひとりでも平気だと言っていたけれど、大人になったからってひとりで平気なわけがない。こどもだったら、尚更だ。
十代は、もしかしたらこの風景をひとりで見たのかもしれない。
十代の背中と、ひとりきりでここに立ち尽くす小さなこどもの背中が重なって、思わず。
「あたりまえだろ?」
後ろから腕を回した。
「ヨハン、なんだよ?」
「俺は十代と一緒だから楽しいんだから、十代も楽しそうにしてくれないと傷つくぞ」
こんなことを言う俺はまだまだこどもなのかもな。でも、俺から言わせてもらえば十代だって似たようなもんだ。
「楽しいに決まってるだろ」
ふてくされた答えが返ってきて、また視線は桜に向く。
俺も同じように桜を見上げて、次に告げる言葉を探した。
で、結局出てきた言葉が、
「帰りの飛行機は、ちゃんとムーミングッズもらえるんだろうな?」
なんて、場をごまかすもので。案の定、十代も脱力したようだ。
「は? ……多分一番安い便をとったからもらえないと思うぞ」
「なんだよそれ。じゃあせめて、昼間も花見をさせろよ。十代とだったら何時間でも飽きないからな」
そうしたら、帰ろうか。
一緒にベンチに座りながら言うと、十代は「ああ」って、照れくさい表情を見せてきた。
誰かの迎えを待っていたこどもはもういない。
いるのは、俺と一緒にここにきて、俺と一緒に帰る、たったひとりの存在なんだぜ?
そんなことを心の中でのろけてみたら、桜の花びらがひらひらと舞い降りてきたのだった。
生息地に桜が咲いたよ的にお花見ネタです(4.6)
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