Shaved Ice.



 授業の終わりは、勉学からの解放と、新たな試練の幕開けだった。
「……暑い」
 ブルーの制服を腕に掛けたまま、暑い暑いと連呼するのは、故郷ははるか北方の国だという留学生の一人だった。だらだらと汗が流れるのが不快なのか、夏だというのに長袖の上着の袖で額の汗を拭う。
 ちなみに、まだ校門前。学園を出てから三分と経っていない。
「そんなに暑いんだったら半袖にすりゃいいのに」
 隣を歩くレッドの制服の少年は慣れているのか軽く手で顔を仰ぐくらいだ。そして隣の少年が暑いと言いながらなぜ長袖を着ているのか、ぶっちゃけ暑苦しいと元来持っていた疑問をここぞとばかりに投げかけた。返答は、やはり「暑い」というぼやきの後にきた。
「半袖にしたら日焼けするだろ。日に焼けるとヤケドしそうになるんだよ」
 北欧の色白の肌には、故郷よりずっと赤道に近い、年中暖かい島での暮らしは決して楽なものではないようだ。
「そっか。ヨハンも大変だなぁ」
「大変だと思うんなら、どこででもいいから涼ませてくれよ、十代」
 俺、このままじゃ溶けちまう! そんな声が聞こえてきそうだった。
 そんなわけないだろ、と十代は思ったが、たしかにこのままではヨハンの体中から水分という水分が流れ出てしまいかねない。
「とりあえず、購買でかき氷作ってもらうか?」
 一応の打開策を提示すれば、ヨハンは目を輝かせつつすぐに飛びついてきた。
「おお、食べる食べる! 俺、ブルーハワイな」
「……ブルーハワイあったかな? イチゴとレモンなら食ったことあるけど」
 結局、くぐったばかりの校門を再び通って、二人は購買へと歩を進めるのだった。


 夜になっても、暑さは和らぐことはなかった。
 エアコンやクーラーという至高の冷却家電とは縁のないレッド寮において、ぬるい風しか入り込まない窓際に置かれた扇風機だけが唯一の頼りだった。
 そんな中でうちわを扇ぎながらデュエルを続けるデュエルバカ二人がいた。
 一応、この二人に救いの手を差し伸べようとした者はあったのだ。
『貴様らはバカかっ! こんな暑いときに本当にうっとうしい!』
 既にデュエルの腕前で自室を勝ち取り、更に自腹でエアコンを取り付けさせた万丈目としては、『涼ませてやってもいい』と言いにきたのだが、既に部屋の体感温度は室温を大きく超えていた。こんな二人を自室に招き入れては、エアコンの意味がないばかりか更に部屋が暑くなりそうだ。それどころか、隣の部屋にまで熱気が溢れ出ている気さえした。そのうえ、デュエルに夢中なバカ二人は生返事ばかりで話の内容を理解してすらいなかった。
 結局、万丈目は二人を罵るだけでさっさと部屋から退散していったのだった。
「……なあ、さっき万丈目、なんか言ってなかったか?」
 ヨハンがうちわを扇ぐたびに、ルビー・カーバンクルがその軌跡を追って視線を左右に鋭く動かしている。
「さあ、なんかバカとか言われた気がするけど」
 十代のうちわは、既にファラオが手を出していたのかあちこち切り裂かれてうちわの機能を果たしていない。
「それにしても暑いよなぁ。なあ十代、購買ってもう閉まったかな? またブルーハワイ食べたいぜ」
 雪のような氷に空の色が甘く溶けるあの光景!
 カードをドローしながら放課後の一瞬の至福のひとときを思い出して提案したが、十代はあっさりと首を振った。
「もう閉まってるだろ。氷だけなら冷凍庫に入ってると思うけどさ……って、あ」
 諦めろ、と言おうとした十代は何か思い出したように手をぽん、と叩いた。
「もしかしたら、アレがあるかも……」
「アレ?」
 おもむろに手にしていたデッキを床に置いて、十代は立ち上がる。
『おいおい、デュエル中だというのにどうしたんだい、十代?』
 カードからあきれた声が聞こえてくる。
「悪いアクアドルフィン。ちょっと休憩な」
『って、待てよ十代! まだヨハンのターンだってのに、休憩って』
 不平はヨハン側のフィールドからもあがる。
「だからトパーズ・タイガーもゴメンって! ……ヨハン、ちょっと押し入れ漁るから手伝ってくれよ」
 くい、と首だけを狭い押し入れに向ける十代に、ヨハンは戸惑いながらも了承の意味をこめて自分もデッキを置き、立ち上がった。

「……たしか、隼人がこのへんに置き土産していってくれたと思うんだけど……」
 冬服やガラクタ、授業で使うはずの辞書まで押し込められていた押し入れの中は埃っぽいうえ蒸していた。
「じゅうだーい、俺暑い」
「俺だって暑いぞ。……あ、コレかな?」
 十代が取り出したのは、埃をかぶったダンボール箱だった。ふぅっと払うと、不注意にも埃を吸ってしまって「げほげほ」と咳をする羽目に陥ってしまう。そんな咳き込みにもめげず、いまだ休憩中のカードたちの邪魔にならないようにダンボール箱を床に置いた。
「……十代、このデスコアラ、なんなんだ?」
 箱から出てきたものにヨハンは怪訝な視線を向ける。
 座ったデスコアラを模したそれは、頭に中途半端なプロペラのようなハンドルがついている。どうやらヨハンにとっては初めて見るものだったらしく、十代はほんのちょっとだけ優越感を覚えた。いつもなら何で日本人の自分が知らないような小難しい言葉を知ってるんだ、と思いつつヨハンから教わってばかりだから、自分から教えることがあるのは嬉しいのだ。
「こいつで、かき氷が作れるんだよ」
 ハンドルを手にぐるぐると回転させるフリをすると、用途をのみ込めたヨハンの目が輝いた。
「これでかき氷がつくれるのか? 早く見せてくれよ、十代!」
「ちょっと待てって。ここじゃデッキが濡れるかもしれないから、台所でな」

 簡易キッチン……狭い台所に場所を移して、まずは氷を投入する。
「うわ、デスコアラの頭が開いた。なんかグロテスクだな」
「……その想像はやめろ。食べたくなくなるだろ」
「わりぃわりぃ。謝るから食べさせてくれよー」
 氷を詰めて、ふたを閉める。額から上がふただったデスコアラは再びその姿を取り戻した。
「じゃあ、みてろよ」
 デスコアラの足の間にどんぶりを置いて、そのまま十代は頭のハンドルを回し始めた。
 はじめこそ重そうな……ごりごりとした音が聞こえていたが、やがて変化が起こる。
「あれ……? ボウルの上になんか落ちてきたぞ」
 だんだん、ごりごりという音が収まるのと反比例して、どんぶりのなかには見覚えのあるものがたまっていった。
「……すげえ! 本当にかき氷が出てきた!」
 放課後に購買部で見てきたのは、大きな氷を大きな機械で削っていく本格的なものだった。この暑さで他の生徒たちもみんなかき氷を求めていて、冷房のついた部屋なのにトメさんは汗を拭きながらかき氷を作ってくれたのだ。
 すげえすげえと感動するヨハンに驚いたのは十代だった。
「ヨハンって、かき氷作ったことないのか?」
 そういう十代も、二年前に元の持ち主が作ってくれたのを懐かしさとともに感動したものだったが、ヨハンの感動具合はその比ではない。
「家ではないなぁ。かき氷食べたくなるほど暑くなるってことはなかったし」
 俺としてはこの暑さが異常だ、と落ちてくる氷を見つめながら告げるヨハンに、十代は「ふうん」と生返事を返すのみだった。

 ――やっぱり、ヨハンは遠い場所の存在なんだな、と。
 そんな風にどこか寂しく思ってしまう。こうやってすぐ隣にいるのに。さっきまで普通に暑い暑い言いながらデュエルをしていたのに。

「でもさ。ここって、もしかしたら冬かもしれない」

 今までの会話とちっとも繋がらないように見えるヨハンの発言の本当に意味がわからない。こんなに暑いのが冬なのか? と十代はハンドルをぐるぐると回しながらあんぐりと口を開けてしまった。
「……ヨハン、こんな暑いのに冬はないだろ……。デスコアラの国は冬かもしれないけどさ」
「そうじゃなくて」
 どう言ったらいいのかわかんないけど、とヨハンは言葉を続ける。
「俺の故郷って、夏はものすごく昼が長いんだ。日付が変わる直前まで日が出てるってこともある。それを考えたら、この夏の夜の暗さは俺にとってはありえないんだよな。
 で、冬は逆にやっとでお日様が出たかと思えばすぐに沈んじまって、夜のほうがずっと長いんだよ。もちろん雪も降ってくるし、それを考えたら、暗くて雪みたいなかき氷が食べられる今は冬っぽい気がしたんだ」
 そう考えたら、なんとなく涼しくなってきたぞ。
 うちわを煽る手を休めながらできあがっていくかき氷に目を輝かせるヨハン。その肩のルビーは十代の手の動きにキョロキョロと今にも飛び出していきたそうな構えだが、ハネクリボーが威嚇して近づかせまいとしていた。
「……単純なヤツ」
「単純って言うな」
 ヨハンを『単純』と言いつつ、自分もまた、ここがヨハンの故郷と似ていると言われて、離れた距離が近づいたような気がして嬉しかったなんて『単純』すぎるだろ、と十代は小さく苦笑いを浮かべたのだった。

「ほら、できたぞ」
 どん、とコンデンスミルクをかけたどんぶりいっぱいのかき氷ができあがると、ヨハンは至福の表情を浮かべた。
「うわあ、本当にかき氷だ! ありがとな、十代!」
 もうひとつ取り出したどんぶりに自分のぶんのかき氷を作る十代の様子を、ヨハンは黙って見つめている。
「なんだよ、何見てんだよ。融けるからさっさと食べろって」
 注視されるのはどこか気恥ずかしい。視線を合わせないようにデスコアラに視線を向ける十代にヨハンの口から「だって」と言い訳の言葉が漏れ出てきた。
「十代と一緒に食べるからおいしいんじゃないか。早く食べたいんだからさっさと作れよ」
「な、なんだよそれ」
 命令かよ。まったく、こいつは。
 ヨハンの言い分に呆れるやら嬉しいやら、十代は返事をかえすことなくかき氷が出来上がるまでデスコアラと見合いを続けるのだった。

 そして、次の日。
「貴様ら、本当にバカか?」
 昨日の非礼を詫びさせようと乗り込んできた万丈目は、部屋の惨状に呆れた声をあげた。
 散らばったどんぶりの横には食堂の予備の氷が入っている袋。大量のかき氷を作り食べ尽くした二人は真っ青になっていた。
『……一応、止めたんだけどね』
『結局俺のバトルフェイズはいつ来るんだよ』
 精霊たちの呆れた声にも動かない二人に、
「オレ様を呼べばここまでならなかったものを。なぜ呼ばなかった!」
『万丈目のアニキもかき氷食べたかったのねェ?』
「だっ黙れザコが!」
 万丈目のツッコミと、更に万丈目へのオジャマイエローのツッコミが入ったのだった。


暑中見舞いその1。最初は仲良くトイレなオチがついていたとは以下略(080803)
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