「……やっとで帰ってこられたぁ!」
外はたたきつけるほどの大雨だった。靴はもう水を吸い尽くして吸いきれなかった分が足の裏でたぷたぷと不快な音を立てている。とりあえず、部屋の前についてほっとした。
良かった、沈んでない。
駅で見ていたテレビ中継でどこかが膝まで水がたまっていて、もしそうなっていたらどうしようかと思ったのだ。何しろ、その映像のすぐ後に停電してしまって、状況がまったくわからなかった、ってのにはまいった。
家の様子がわからないのは本当に困った。停電したから携帯で家に電話をしても繋がらない。使えない携帯の明かりだけを頼りに、駅2つぶんの距離を歩いてきたのだ。
我が家の精密機械は、うまいこと避難してくれているといいけど。
「ヨハン、ただいまぁ!」
鍵を差し込んで家に入る。案の定真っ暗な家の中に入るべく、靴と一緒に靴下も脱いだ。うう、足がべたべたする。ズボンはとっくに膝まで水浸しだったから膝上までまくっていたから、靴下を脱ぐのは簡単だった。
濡れた鞄は玄関に置いたままにしてその上に濡れた上着をのせて、そろそろと廊下を進んでいく。静まりかえった部屋には雨の音以外のすべての音がかき消されていた。
たしかに、停電はしているけど家の中に水は入っていない。でも。
「ヨハンー?」
携帯の明かりで廊下を照らしながらあちこち名前を呼びながら歩いても、目当ての人物?は見つけられない。
「どこ行ったんだよ。返事しろって……」
急に不安になって、心臓がどきどきとうるさくなっていく。
人物? と後ろにクエスチョンマークをつけてしまうのは、ヨハンがスカイプだからだ。
ちょっと変な動作をすることがあるらしいけど(別に俺は困ってないからいいんだけど)、一緒にいておもしろいヤツだし、料理はしてくれるしデュエルだってしてくれる。
あまりに人間ぽいからたまに忘れるんだけど、ヨハンってスカイプなんだ。要は機械ってわけで。
「まさか、水に濡れちまったか……!?」
俺が濡れネズミになったせいかもしれないけど濡れネズミになったヨハンを想像したらますます心臓がおかしくなった。
今まで水に濡れてもどうってことはなかったけど、それはちょっと水をかぶったくらいだったからだ。今の俺みたいになってたら、さすがにまずいと思う。
「ヨハン!」
俺の部屋にも、キッチンにも、どこにもいない。ヨハンの名前を呼んでも、返ってくるのは雨の音だけだった。
「ヨハン、どこにいるんだよ。出てこいってば!」
暗いキッチンで何かを倒したり、椅子につまずいたりしながら、リビングにたどり着く。中途半端な大きさのソファは、ヨハンのお気に入りだった。……俺が座ってても座りたがるけど、半分ずつにするとものすごくくっつかないといけないのだ。そうすると、
『じゃあ、一緒に座ればいいじゃん』
と無理矢理俺の隣を陣取るから、ちょっと困っていたけど。
「ソファにいくらでも座らせてやるから……」
よろよろとソファに近づいていくと、携帯の明かりで見覚えのあるコートの裾が見えた。
「ヨハン!」
ソファの前側に回り込むと、あれだけ探していたヨハンがいた。
暗闇の中でもほのかに光る不思議な空色の髪は光を失って、翡翠の色をした瞳は固く閉じられている。なんだか、まるで
「ヨハン、おい、どうしたんだよっ!」
ヨハンの身体を抱き上げて頬を叩いてみるが、何の反応もない。今まで、こんなこと一度もなかったのに。
『お帰り、十代! メシにするか? 風呂にするか? デュエルにするか?』
「……また変なテレビ見てたな?」
俺が帰れば、『お帰り』って言ってくれる。出かけるときはちゃんと『行ってらっしゃい』って言ってくれる。今日だってそうだ。
『雨が降るから、傘持って行けよ』
って。
傘は全然役に立たなかったけど、でも、うれしかったんだ。
今まで、傘を持っていけなんて言われたことなかったから、本当に。
『今日は、早く帰ってこいよな! 絶対だぜ!』
こんなこと言ってくれたのだって、ヨハンが初めてだったんだ。
「ヨハン、なぁ、目開けろよ!」
水に濡れたふうでもないのに、どうして目を開けないんだろう? どうしてっ!
ぶんぶんとヨハンの身体を揺さぶってみるけれど、やはり反応しない。
何度も何度も名前を呼んでも、目を覚ますことはなくて。
「ヨハン、たのむから、目を開けてくれよぉ……!」
どうしてだろう。目に熱いものがこみ上げてきそうになる。
「何でだよ。何で目を開けてくれないんだよ、俺、お前の目がすごく好きなのに!」
好きなのに。
……そっか。俺、ヨハンのこと好きなんだ。
今まで機械だなんだって言い訳して考えないようにしてたけど、一緒にいてすごく楽しいし、安心できる。こういうのって「好き」っていうことなんだ。
目からぽろり、と涙が頬をつたっていくのがわかる。
「ヨハン、なぁっ、俺、まだ何にも……言って……」
涙が顎から落ちた瞬間に、周囲が明るくなった。
落ちた涙が、ヨハンの口元に落ちる。
「わ、やべ」
慌てて口元をぬぐってやると、なぜか、口元があったかかった。
ん? ……あったかい?
『……んむぅ、じゅーだいのやつ、……わすれるなよぉ』
ヨハンの口がそんな小さな言葉を発したかと思うと、次には寝息といびきを交互に立て始めた。
「…………。へ?」
涙が、一瞬で引っ込んだ。
髪の色はだんだん色合いを取り戻し、胸の設定パネルが小さく状況を告げていた。
――充電中 18パーセント完了
「あ」
『じゅーだいのやつ、じゅうでん、わすれるなよぉ』
『今日は、早く帰ってこいよな! 絶対だぜ!』
今言われた言葉と、朝言われた言葉が、ようやく繋がった。
俺、ヨハンの充電を忘れてたんだ!
きっと、俺が帰ってからでも大丈夫だろうとヨハンも思っていたに違いない。でも、俺が雨で足止めくらって帰ってこないから、一人で充電を始めたのだろう。でも、途中で停電して……。
「な、なんだぁ……」
どっと、力が抜ける。
眠る……充電するヨハンの胸元に倒れ込んでしまった。あったかいけれど、心臓の音は聞こえない。……ヨハンは機械だから、それは当然なんだけど。
でも。
「……どうしよう」
ヨハンが好きだって、わかってしまった。
わからないうちは、まだ気にしないでいられたのに、わかってしまったらもう知らないふりなんてできるわけがない。
本当に、どうすりゃいいんだ、俺!?
ヨハンの聞こえない心臓の音を聞くふりをしながら、俺は混乱の海にたたき落とされた。
雨は小降りになっていたけれど、俺の心の中は逆にますます水浸しになっていくのだった。
雁さんのところのスカヨハ妄想便乗第2弾です。
お話しているときにぐるぐる回っていたネタでしたが、スイッチをうまく書けなかったのがちょっと悔しいところです。
いつもながらスカヨハと雁さんには大感謝です。萌えをありがとうございます。(081111)
BACK